崎陽軒のシウマイ弁当プロ志望届

俺が小学生中学生のころ、つまりかれこれ20年以上前のはなしであるが、当時はTVゲームが大好きだったので、一生ゲームばかりやって生きていけないかな…なんてことを漠然と思っていた。もちろん当時は「TVゲームのプロ」という概念は無かった。いや、高橋名人や橋本名人などはいたけれど、彼らは言ってしまえばメーカーに所属する広報であり、ゴルフで例えるならゴルフクラブメーカーの広報が名人を名乗ってはいるけれど、純粋にゴルフだけで生活してるプロプレーヤーは当時存在していなかった。というよりも、純粋にゲームだけで生活できるプロが職業として成立する、なんて当時は想像できなかったはずだ。

 

ところがどうだ。現在はEスポーツの隆盛で、ゲームのプレイだけで生活しているゲームのプロなんていう人がざらにいるではないか。

 

いや、ゲームのプロだけではない。レゴの組み立てだけで生計を立てるプロ、プラレールの組み立てだけで生計を立てるプロ…。自分が小さい頃は想像もつかなかった専業プロがここ数年で誕生している。良い世の中になったと思う。

 

そして、弁当の食べ方についても同じことが言える。つまり、弁当の食べ方なんてもので収入を得るプロが、この世にはいるのである!考えられただろうか?この状況を!!

 

弁当の食べ方のプロ第一号は誰か?俺の認識では、泉昌之の「夜行」というマンガ作品がプロ第一号である。泉昌之は原作・久住昌之、作画・泉晴紀、によるマンガユニットであり、夜行はそのデビュー作でもある。夜行は「かっこいいスキヤキ」という単行本に収録されている。

 

かっこいいスキヤキ (扶桑社文庫)

 

「夜行」の内容を説明すると、夜行列車にのったおっさんが幕の内弁当を食べる話、ただそれだけである。ただそれだけであるが、これが読んでみると抱腹絶倒なほど面白いのだ。信じられるか?弁当の食べ方、ただそれで人を笑わすことができるだなんて!それまでのマンガの物語といえば、ヒーローが世界を救う、とか、不思議なキャラクターとともに過ごす日常生活、みたいなのが王道だったのだ。それがどうだ。「夜行」は普通のおっさんが弁当を食べているだけである。地味だ。しかしそんな地味なおっさんが弁当の食べ方で苦悩する、ただそれだけでエンターテイメントになりうるんだという発見。仮に「世界三大その手があったか」というものがあるとしたら、コロンブスの卵に並んで余裕でランクインするぐらい画期的な発見がこの夜行という作品である。

 

夜行の登場により、弁当の食べ方というものがエンターテイメントになりうることが証明された。そして、例えるなら野茂英雄の後を追って日本人メジャーリーガーが次々誕生したように、弁当の食べ方という芸もいたるところで見かけるようになった。いわばプロも増えつつあるということだ。みなそれぞれの芸を競い合い、立派にエンターテイメントとして成立している。そういう時代である。

 

そして今も弁当の食べ方でプロ・素人いりみだれて喧々諤々の議論が盛り上がってる界隈があるのである。とはいってもその議論が盛り上がるためには(1)その弁当が抜群の知名度をほこり(2)なおかつ品目がバラエティゆたかで食べ方を検討する価値が大いにある(3)なによりその弁当が愛されているので議論してる奴らみな”ガチ勢”である、という三要件を満たす必要がある。もうお分かりかと思うが、その弁当とは崎陽軒シウマイ弁当である。

 

ためしに「シウマイ弁当 食べ方」でぐぐってみるといい。出るわ出るわ、シウマイ弁当食べ方芸の山!

 

おわかりいただけただろうか。もはやシウマイ弁当の食べ方は、進撃の巨人黒子のバスケに比肩しうるコミケの一ジャンルになっているという事実に…。

 

 シウマイ弁当に持ち込みのふりかけを使用する、という奇襲作戦。つまりそれほど議論が進みすぎ、シウマイ弁当の食べ方界隈も正直かなり”煮詰まってる”んだ、と思っていただきたい。

 

ところでかくいう自分も横浜生まれ横浜育ち、当然のようにシウマイ弁当を愛し育ったのでシウマイ弁当に一家言ないはずがない。つまりある。めっちゃある。シウマイ弁当について語りたいことが山ほどある。とはいえ俺は素人だ。それでもいい。素人でもシウマイ弁当を語っていい。しかし…しかし…俺はシウマイ弁当のプロになりたいんだっ…!

 

 

 

 

 

前置きが長くなってしまったが、要するに本エントリは崎陽軒シウマイ弁当のプロを目指すべく書かれた文章である。つまり崎陽軒シウマイ弁当プロ志望届シウマイ弁当の食べ方を語るだけで生活するのが俺の最終目標です、よろしくお願いします。

 

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シウマイ弁当スーパードライ350mlである。家でも新幹線でも同じ食べ方ができるよう、今回はこの組み合わせでいこうと思う。

 

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開封の儀です。

 

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あら、おいしそう。いいですね。右も左もいいですね。どれから箸をつけようか迷っちゃいます。…と言いたいところだけど、俺に言わせれば甘い。なにか忘れてませんか?

 

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そう、弁当のフタにこびりついた米つぶ…!シウマイ弁当の食べ方を議論するなら、まずはシウマイ弁当のフタ問題から議論を出発する必要がありませんか?これはカップアイスのふたにこびりついたアイスクリームを舐めるのかスルーするのか問題と全く一緒である。なぜなら、シウマイ弁当は間違いなくフタに米つぶがひっついてしまう構造上の問題をかかえているからだ。もち米にも似た粘着力の高さに、静止摩擦係数の高そうな木のフタ。つまり、このくっつきは必然であり宿命。ここをどうするかの議論は避けて通れない。食べるべきなのか。それとも、そんなはしたない真似はできないので見てみぬふりをするのか…?あなたならどうする?

 

ではここで正解の発表です。

 

正解は、ふたについた米も当然食べる、です。しかも箸をつかわずに直接フタをなめるようにして米つぶを食べるのが正しい作法である、と筆者は力強く断言します。

 

え?下品だ?はっ、そういうことを言い出す奴は物事の本質をなにもわかっちゃいない。そんなことを言い出したら、蕎麦やラーメンをすすって食べるのは下品だし、お茶碗のような食器に口をつけて食事をするのは下品なのだ。でも、日本の文化は、麺をすすって食べ、食器に口をつけて食べるのは美徳だ、という文化である。なぜか。日本はすべての物事に対して五感をフル回転して楽しむ文化であるからだ。先の例でいうならば、麺類を食べるとは味覚や嗅覚だけでなくすする音、つまり聴覚でも楽しんでいるし、食器は視覚や手の触覚だけでなく、口の触覚でも楽しむ、というわけだ。つまり、海外では多くの地域で不作法とされるものが、日本では正しい作法とされる。

 

なら…なら…フタを舐めて米つぶを食べるのも立派な作法でしょうが??

 

みろ、シウマイ弁当のフタを!木を薄く削ってつくられた、経木折のフタだ。今時ないぜ、こんな弁当。今半の弁当だって発泡トレーだっつうのに、崎陽軒シウマイ弁当は昔と変わらぬ経木折…せっかくのこの木の香りを体感せずしてどうする?そう、みなも実際にこそいで食べてみるがいい…鼻腔に広がる木の香り…森の香り…そして噛みしめる米つぶ…まるでピクニックで行った山の上で弁当を食べているかのような爽快感すら感じる…。最高なのでは?

 

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ごはんのつぶ、完食!美味しかった…。これを下品の一言で切り捨てる奴は人生の楽しみ方を分かってない。ここは問答無用で「舐めるようにフタについた米つぶを食べる」を10点にします。フタの米つぶを箸で食べたら?んー、間違いじゃないけど7点しかあげられないな。うん。後で挽回しようね。

 

本来ならここで本稿を切り上げてもいい。それぐらい崎陽軒のフタ問題はクリティカルな指摘だったと言える。しかし、俺はプロなので、プロ志望なので、最後まで魅せる食べ方をしていきたいと思います。ご期待ください。

 

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改めて状況を報告したい。白米8個師団を筆頭に、シウマイ5個師団、から揚げ、玉子焼き、かまぼこ、焼き魚、筍煮、杏子煮、昆布に紅ショウガ、小梅、というおなじみのラインナップである。どう攻めるか。

 

まずは作戦の大枠、グランドデザインを決めていきたい。つまり、杏子をどのように考えるか、ということである。

 

ご存知無い方の方に説明しておくと、シウマイ弁当の食べ方にはざっくり分けて大きく2つの考え方がある。杏子を一番最初に食べて「杏子を無かったことにする」という考え方と、杏子を一番最後に食べて「杏子は食後のデザートである」という考え方である。

 

最新の学説によると、「杏子はデザートではない」という考え方が主流である。将棋の戦法と同じで、杏子をどうとらえるかにも流行り廃りというものがあるのだ。最近は杏子を最初に食べるという流派が主流なんである。しかし、筆者は昔かたぎの男なので、かつて正統と言われた杏子デザート説、つまり杏子フィニッシュをキメたい。これは将棋の羽生さんと一緒で、俺はプロなので、プロ志望なので、杏子を先に食べる書き方もできるし、杏子フィニッシュに持っていく書き方もできる、つまり得意の戦法などなくすべてに対応できる自在型なのである。なので、あえて難しい方、つまり杏子フィニッシュルートを選択していきたい。

 

まず食後のデザートは決まった。あとは、作戦の方針である。やはりここはビールがあるので、ビールの肴としてシウマイ弁当のおかずをつまみ、次に米とおかずを食べ、そしてデザートをキメる、という流れで行きたい。奇をてらわず、あくまで正攻法で臨みたいと思う。

 

作戦の大枠は決めたので、今度は作戦の細部をきめていきたい。

 

よくあるパターンなのが、最初にビールの肴としておかずを消費しすぎて、後から白米のおかずが足りなくて泣きを見るパターンである。シウマイ弁当あるあるの筆頭といってもいいかもしれない。

 

今回それは避ける。避けていくために、あらかじめ兵力と火力に応じた作戦担当正面というのを決めていきたいと思う。

 

敵は白米8個師団である。これをどうやっつけていくか。ここで兵力の火力を確認しておきたい。火力とはなにか?つまりそのおかず一つでいくつの白米を屠れるのか、という指標である。たとえばシウマイ。シウマイ1個にたいして白米がいくついけるのか、いわばどれだけごはんがススム君なのか、ごはんの推進力はどのくらいか、ということである。筆者の個人的感覚であれば、シウマイ1個にたいし白米1killである。しかし焼き魚はどうか。焼き魚はかなりの殺傷力を誇っている。筆者の感覚で言わせてもらうと、焼き魚は3killである。つまり焼き魚1で白米3個師団にあたらせても十分に応戦できる。

 

このように、あらかじめ兵力と火力に応じ白米8個師団に対しおかず軍団をどう当たらせたらよいかを事前に決めておいたのが次の図である。

 

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作戦を説明する。白米8個師団に当たらせるのは、小梅(1kill)こんぶ(2kill)シウマイ2個師団(2kill)そして焼き魚(3kill)である。

 

となると、残りの兵力でスーパードライ350mlを担当する、ということになる。

 

めっちゃ分かりやすくないですかこれ?

 

まるで、赤壁の戦いのときに張飛趙雲関羽を先の先の先まで見越して伏兵として配置した諸葛孔明のようなエレガントな采配である。これで白米にあたらせるおかずが足りなくなるという後顧の憂いは完全に断った。あとは全兵力をビールに当たらせるだけである。

 

では実際にビールとおかずを食べていきたい。

 

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だいたいにおいて、まずは玉子焼きやかまぼこから食べるのが常套手段である。筆者もそれに異存はない。ちなみに筆者の個人的感覚だと玉子焼きとかまぼこは0.5killすらあやしい。醤油をかけてようやくギリ1killかな、ぐらいの感覚である。しかしビールのお供してはひじょうに具合がよい。まずとりあえず空腹を満たしてからのビール…という感じであり、いわばシウマイ弁当におけるお通し、つきだし、といった風情が玉子焼きとかまぼこにはある。

 

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ちなみに筆者の中での紅ショウガの位置づけはあくまで薬味である。たとえばから揚げにちょっと紅ショウガを載せて食べると油っぽさがなくなり美味しい…ということになる。いわば遊軍、補助火力である、というふうに考えたい。

 

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いやービールとシウマイ弁当、最高だな~

 

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みよ。ビールを飲みほした時点での戦況である。まさに計画通り。圧倒的ではないか、わが軍は。

 

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なんかすげえ食べにくそうな順番で食べてますけど、これ皆さんに担当正面を分かりやすく説明するために白米の上に載せてるだけであって、だからシウマイごはん→こんぶごはん→焼き魚ごはん→…のように食べるとこのような歯抜け状態になってしまうのである。ふだんの俺はこの作戦図を脳内に展開してますから、傍目には普通に食べてますからね俺…

 

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焼き魚を3口に分けて食べたが、最後の一口は紅ショウガを載せて食べる…。このようにプロ野球のピッチングよろしく緩急をつけるのが大事である。

 

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予定どおりの兵力をもって白米8個師団、消滅である。ということは…ということは…おおお、ついにきてしまうのかーッ!?

 

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決まったーッ!杏子フィニッシュ、見事に決まった!

 

どうですか。これがロジカルなシウマイ弁当の食べ方というものである。皆さんも参考にしてほしい。どうか素敵なシウマイ弁当ライフを!

 

以上です。

コンビニ蕎麦にコンビニの揚げ物ぜんぶのせる

この歳になってようやくコロッケそばの良さが分かるようになった。以前は食べてみようと思わなかったし、そもそも「温かいそば」すら食べる発想がなかった。うどんなら、うどんなら冷たくても温かくても両方イケるけど、そばだけは、そばだけはどうしても「冷たいざるそばこそ至高」であり、それを温かいつゆの中にぶちこむなどとんでもない、という思想の持主だった。温かいそばを食べるのは年一回、年越しそばだけ。それは縁起物だから温かくして食べてるんだ、普通は冷たくして食べるんだ、という感覚であった。

 

これは己の育った環境にもよるのかもしれない。

 

関西の友人に会いに京都に行ったとき、夕食に蕎麦屋に連れて行ってもらった。その時に「関東の人にこっちの蕎麦屋を紹介するの、けっこう緊張するわ…」と言われ、なるほどそういうものなのか、と軽いカルチャーショックをうけ、なんだか面白かった。

 

言われてみれば、俺だって北海道の人に東京の寿司屋を紹介するのはものすごく緊張するし、もし香川の友人がいたら、東京のうどん屋なんか畏れ多すぎて連れて行けないと思う。

 

蕎麦に格別の思い入れがあるわけじゃないんだけど、でも関東のそば文化と関西のそば文化は明らかに違うものだ。例えば「にしんそば」なんて食べる関東の人なんて滅多にいないので三十代ぐらいまで食べたことなかった。なかったけど、いざ京都で食べたにしんそばはとても美味しかった。今までなんでこの味を知らなかったんだろう。と新しい世界に出会えた気になった。

 

俺とコロッケそばの出会いは、その延長線上にある。数年前、意を決し駅のスタンドで生れて初めてコロッケそばを頼んでみた。今まで俺はなんと偏見に満ちていたのだ…となるくらいとても美味しかった。

 

以前は己の中に山岡士郎がいたのかもしれない。「そんなものは、蕎麦じゃないですよ」みたいなことを脳内で囁いていた。歳を重ねた今なら分かる。そうやって断言できるのは、蕎麦について無知であるからに他ならない。今は違う。それも蕎麦である、というのが最近ようやくわかってきた。いわば己の中で蕎麦の概念が拡張されたのである。

 

 

halleluja.jp


分かる。揚げ物につゆをしみこませて食べると美味い。たぬきそば、天ぷらそば、かきあげそばが美味いのだから、コロッケそばが美味いのも道理ではないか…。

 

www.excite.co.jp

 

コロッケそばにまつわる言説は、たいてい駅のスタンドの話である。しかし俺は最近気が付いたのだ。コンビニでもコロッケそばが食えるな、ということに。

 

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セブンイレブンかき揚げそばに、同じくセブンイレブンのコロッケを載せたものである。そう、コンビニで売ってる揚げ物は全てがそばにトッピング可能なのである。ならばコロッケ以上にそばと相性のいい組み合わせもあるのではないだろうか、という境地にいたり、調査することにした。

 

 

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 フライドポテトそばである。

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理論上だとコロッケそばと同じ美味しさになるはずだったけれど、コロッケそばほど洗練された味ではなかった。衣があるかどうかどうかがつゆとのハーモニーを語るうえで重要なのかもしれない。

 

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山菜からあげそばである。これは普通に美味しい。なんならその辺の駅のスタンドで普通にメニューにありそうではないか。

 

 

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 春巻きたぬきそばである。日によってベースとなるコンビニそばの種類が違うが、その日によってコンビニにおいてあるラインナップが違うのでお許しいただきたい。

 

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これは美味かった。春巻きのあんがそばと奏でるマリアージュ、まるであんかけラーメンのようではないか。春巻きとそば、コロッケそばに勝るとも劣らない組み合わせなのではないだろうか。

 

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アメリカンドッグたぬきそば。犬とたぬきの個性のぶつかり合いである。

 

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理論値だとこれも美味くなる予定だったのだけど、あまり美味しいと思わなかった。そもそも俺がアメリカンドッグをあまり好きではないせいなのかもしれないが…。アメリカンドッグが美味しい店があったら教えてください。

 

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カニクリームコロッケたぬきそば。コロッケそばと変わらぬビジュアルに期待が高まる。

 

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カニクリームとめんつゆが合うのか?という向きもあるだろうが、はっきり言って美味い。めんつゆを吸ったコロッケの美味さは異常。カニクリームコロッケとて例外ではない。

 

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豚まんかけそば。もはやお好み焼きをおかずにご飯を食べる関西人をばかにできない…。東京人はそばの上に豚まんを載せて食べます(意見には個人差があります)

 

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まんじゅうがめんつゆを吸う能力は桁外れであった。つゆを吸い過ぎて干上がってる様子がお分かりいただけるだろうか。めんつゆをパンパンに吸い上げた豚まん、ちょう美味い。優勝。

 

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セブンの味付けたまごかけそば。そう、揚げ物コーナーだけではなく、総菜コーナーの食品もトッピングできるのだ!でもこれやりだすと無限にできるのでこの辺にしときます。もちろん味付けたまごかけそばは美味かった。

 

とりあえず現段階の調査報告では春巻きか肉まんが個人的にはおすすめだ、という結論にいたった。そしてこれらは駅のスタンドでは絶対に食べれない。コンビニそばだからできる代物である。駅のスタンドだけでコロッケそばを語るのは片手落ちだ。ぜひ皆さんも一度コンビニそばの奥深い世界を堪能してほしい。

バランタイン魔法の七柱と文脈映えと魔法の七柱スーパーハイボール

またぐるなびで記事を書きました!有名なスコッチウイスキーバランタインのキーモルトをめぐる冒険についての物語です。未読の方がいらっしゃいましたら是非お読みください!とにかくすごく楽しい家飲み会でしたので、その雰囲気が少しでも伝われば幸いです。

 

r.gnavi.co.jp

 

今回の企画、俺にはどうしても心残りが一つだけあったんですね。それは、スーパーハイボールをつくろうとして、やり忘れたことなんです。

 

スーパーハイボールとは何か。それは古谷三敏の『BARレモン・ハート』にて登場した、究極にスノッブな飲み方です。まずブレンデッドウィスキーのハイボールをつくる。そして、そのブレンデッドウィスキーの構成原酒のキーモルトになるウィスキーを薄い膜になるように注ぐ。以上です。

 

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実際に作ってみましょう。今回はバランタイン12年のハイボールにミルトンダフを合わせてみます。

 

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バランタインハイボールだけでも当然美味しいですが、ミルトンダフを加えると複雑な味になるというか、味わいの変化をダイレクトに感じれるので面白いです。

 

今回比較的特徴のないミルトンダフでやってみましたけど、これがスキャパのような甘いウィスキーやアードベッグのような極端にスモーキーなウィスキーでやるならまた全然違う印象になるでしょう。ぐるなびの企画でさんざん魔法の七柱を遊び倒したと思っていましたが、まだまだ楽しみ方はたくさんあるんですね。ウィスキーは奥深い。

 

これ、別にブレンデッドウィスキーのキーモルト(構成原酒)を使う必然性、まるでないと思うんですよ。でも、キーモルトを使うことがある種の物語性を帯びる、それは必然である、ということなんだと思います。

 

我々はふだん意識はせずとも多くの物語を消費しています。これについては以前書いた文章を引用します。

 

www.mizuhebi.com

 

例えばですね、同じワインを飲んでたとしても、「コンビニで買った480円のワインだよ」と聞かされて飲んだワインと、「今日という日を祝おうと思って買っておいた、あなたが生まれた年のワインだよ」と聞かされて飲んだワイン、どっちがより美味しく感じると思いますか。

 

美味しんぼの京極さんが生まれ故郷の四万十川の鮎を食べて「なんちゅうもんを食わせてくれたんや…」と感動し落涙するのと同じで、そこには京極さんの琴線に触れる文脈というものがあります。

 

そう、たとえ同じウィスキーを用いた場合でも、それがメインのブレンデッドウィスキーのキーモルトである、という物語を用意したか否かで飲み手の感じ方は大きく異なると思うんですよね。これ、インスタ映えと原理的に同じ概念だと思います。写真ではないけれど、文脈がめっちゃ映えてる。しいて言うのなら”文脈映え”してる。

 

この考え方は、村上隆さんの影響をかなり受けてます。現代美術は海外でなぜあんなに高額で取引されるのか、それは文脈ゲームにのっとっているからだ、と喝破したのが村上さんです。その現代美術という名のゲームのルールを理解した村上さんは、たちまちそのゲームでの勝者になった、というわけです。面白い本ですので機会ありましたらご一読ください。

 

 

 芸術起業論

 

インスタ映えはかなり一般化した概念になりましたが、究極的にはそもそも写真である必然性もないのです。行為が複雑な文脈の上に成り立ったものであるならば、それは面白いし、映える。

 

ウィスキーはけっこう物語がいろいろ用意されてるので、魔法の七柱に限らずともこういう文脈ゲームは楽しめると思います。ウィスキーは奥深い。皆さまもぜひウィスキーの物語に寄り添う文脈ゲーム、つまりウィスキーをめぐる冒険をお楽しみください。

3歳9か月

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夜、リビングにいる娘を早く寝かそうと思って「もうお布団にいこ?」と促したらキッとこちらを見据えて「おふろでたらトランプであそぶってゆったでしょー!?」とこちらを問い詰めてきた。言った。確かに俺はそう言った。それは風呂の時間なのにトランプしたいと娘が駄々をこねていたので「トランプはお風呂でてからやろうね?」と娘を風呂に促すために、いわば物事の”流れ”で出た発言だ。1時間前のことなのに俺はそんなのすっかり忘れていたが、娘にとってはそれは大事な遊びの約束で、それをすっぽかすなどとんでもない!ということだった。確かに約束は大事なことだし、それをすっぽかすなどとんでもないことだ。娘はまだ小さく知識も社会経験も圧倒的に不足しているが、しかし一人の人間として尊重すべき人格というものがすでに彼女にはあるのだ。小さい娘だから、と軽はずみに発言してたと思う。至らなかったのは俺だ。これが子に教わるということか…とぼんやり思った。

 

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1月のある日の夜、東京に大雪が降った。娘が雪遊びをものすごく楽しみにしてたので、「明日雪が積もったら早起きして雪だるまつくろうね」と約束した。普段は朝7時過ぎにのそのそと起き、ねむいまだおふとんにいたいと不機嫌にぐずる娘だが、この日は朝6時に「雪つもったよ。雪だるまつくってあそぼ」と娘に声をかけるとガバッと布団から起き、眠い目をこすりながら身支度をととのえ、いきおいよく雪の積もる外へ飛び出して行った。なんというか、執念である。このパワーはいったいどこから来るのか。すごい。根性だ。

 

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俺も出社前に娘と遊べて楽しかった。

 

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最近noteを始めました。娘と遊んだ記録が中心です。もしよろしかったらそちらも併せてお読みいただけると嬉しいです。

 

kodawari|note

 

 

私が愛した森中聖雄と世紀末プロ野球系テキストサイトとカンバセーションピース

delete-all.hatenablog.com

 

すごく面白かった。なんだか俺もプロ野球のことを語りたくなったので記憶をたよりに書く(ので数字など間違っているかもしれない、あらかじめ断っておく)。

 

俺がプロ野球を好きになったのは高2の頃だ。1997年。そう、万年最下位争いをしていた弱小横浜ベイスターズが当時常勝を誇っていた首位・野村ヤクルトを2.5ゲーム差まで追い詰め、あわや奇跡の逆転優勝かと誰もが思い始めた頃の話である。当時実家のある横浜に住んでいたのでこれは応援せねばならんと一発で野球というものにハマってしまった。で、いざ真剣に野球を見始めたらヤクルトとの首位攻防直接対決で石井一久ノーヒットノーランを食らいそのままずるずるとゲーム差を引き離され結局7.5ゲームぐらい引き離され二位のまま終わってしまった。当時の石井一は凄かった。

 

www.youtube.com

 

改めて見ると古田の正確無比な二塁送球もすげーよな。石井は当時の球界では一二を争う剛速球を誇っていたが、コントロールは悪かった。それを支えたのは女房役の古田である。古田が青いキャッチャーミットを使っているのは、その方が石井にとって見やすく投げやすいからだ、と古田本人が何かのインタビューで語っていた。茶色や黄色のミットだと目立つので逆に石井がコントロールを意識してしまい、結果として外してしまう、だから目立たない青のミットが石井には良いんだ、というようなことだったと思う。投手にあわせて彼らの持ち味を最大限に生かす名捕手であった。田畑や吉井など他球団をお払い箱になった投手をヤクルトで再生させた功績から「野村再生工場」と呼ばれていたが、古田なくしては彼らの再生もありえなかった。

 

さて、ご存知の通り翌年の1998年に横浜ベイスターズは悲願のセリーグ優勝、そしてパの王者・西武を下し38年ぶりの日本一に輝く。この1997~98年という時代は、インターネットというものが世に普及しだした時代でもある。当時はブログなんてものはなかった。みなHTMLをテキストエディタにしこしこ手打ちしてホームページをつくっていた。当時を知らない若い方も「テキストサイト」という言葉は聞いたことあるかもしれない。といってもサブカル日記系テキストサイトについてしかその歴史を語る者はいないかもしれないけれど、プロ野球に関してもテキストサイト全盛時代だったのだ。当時はプロ野球テキストサイトの管理人たちが夜な夜なその日の試合を面白おかしい文章にしたてあげネットに公開していた。なんjまとめサイトしか知らない若い世代には信じられないかもしれないが、その全てがテキサイ管理人たちの文才あふれるオリジナルの文章だった。信じられるか?パクリサイトなどこの世に存在しない、すべてがオリジナルできらきら輝く文章だけが存在していた世界のことを。

 

そう、俺が野球を知ったときにはすでに野球はインターネットと地続きだった。その日の夜にプロ野球をテレビで見て、プロ野球ニュースをチェックし、深夜のテレホタイムにプロ野球テキストサイトを巡回し、面白おかしい文章を読んではげらげら笑うのが日課だった。俺はほとんど横浜ファンのテキストサイトしかおっかけていなかったので見てたサイトに偏りがあるけれど、名前を憶えてるのは「嗚呼、横浜大洋銀行」「くたばれ!横浜ベイスターズ」「虚偽スポーツ新聞」「ホロビノビガク」、あとはプロ野球の話題全般を扱う総合サイトとして本田透さんの「プロ野球景気の悪い話」を読んでいた。

 

フミコさんは「当時の小学生がマネするような選手がヒーローだ」としていたが、俺が野球にはまったのはそういう環境だったので、俺にとってのヒーローとはテキストサイトでネタになるような選手だった。

 

まずはハマの花火師、川村丈夫。チェンジアップが持ち味で17勝をあげたこともある頭脳派ピッチャーだったが、同時に被本塁打も多く、よくネタにされていた。

 


もはや伝説と化したこの芸術的な被ホームランを見よ!巨人の投手・ガルベスにくらった豪快な場外ホームラン、しかも満塁ホームランである。こんなのある?なんなの、助っ人外国人の四番打者なの?っていう飛距離の出し方である。ガルベスのバッティングが良いのはもちろんだが、これは投手・川村という稀代の被ホームランアーチストが投げてなければ達成しえなかった偉業でもある。

 

そう、投手が打つと盛り上がるのである。今でこそ二刀流・大谷翔平がいるけれど、当時からバッティングの良い投手は(テキストサイトでは)人気だった。

 

打撃の良い投手といえばなんといっても野村弘樹である。当時の横浜の左のエースで権藤監督の信任もあつく、西武との日本シリーズでも第一戦の先発を任されるほどだったが、打者としての能力も高かった。

 


動画の中でシーズンの打撃成績が表示されているが、それを見ると60打数15安打 .250 1HR 8打点。現在のベイスターズのどの代打よりも打撃成績が良い。相手は西武の大エース・西口。そんな一線級の投手を相手に第2打席でツーベースを放ち、第3打席でもツーベースを放っている。この無駄のない美しいスイングを見よ(1:40あたり)!西口相手に左中間すなわち逆方向に放った豪快な一打。しかも打球が伸びて名手小関が取れないほどの鋭い当たり。なんなの?筒香なの?っていうレベルの見事なスタンディングツーベースである。

 

横浜の左投手には大打者が多い印象である。代表格はなんといっても吉見祐治ではなかろうか。初年度こそ二けた勝利をあげたが、以降は投手として伸び悩み、なかなか勝ち星を挙げられなかった。しかしバッティングは一貫してすごかった。

 


もう普通に猛打賞打ったり普通にバスター決めたりしちゃってた。打撃センスの塊であった。もし彼が途中で打者に転向してれば今頃は…と思うと残念でたまらない。同時期にヤクルトにいた高井雄平も吉見と同じく将来を期待された左投手であったが投手として伸び悩み、思い切って打者に転向したところ打撃開花し、現在でもヤクルトで主軸を打っている。吉見も途中で打者転向していれば今頃まだ横浜の主軸を打っていただろうに…と誰もが思う選手だった。結局吉見はあくまで投手にこだわり、晩年はロッテに移籍したが、そこでも思うような投手成績を残せず現役を引退した。

 

横浜の左腕というと印象に残ってる選手がもう一人いる。森中聖雄である。活躍した年数が短いので彼のことを知らない人がほとんどだと思うけど、ひょっとしたら巨人ファンの中には森中の名前を知ってる方もいるかもしれない。なぜなら森中は逆・松井キラーだったからだ。つまり、左キラーということで登板したのに松井秀喜に打たれまくったホームラン配給王だったのである。

 

 

 

松井のスイングスピードすげーな。完璧。看板直撃のサヨナラ特大弾である。

 


翌年の森中vs松井。この映像は今でも松井秀喜の特番があるとよく見かける伝説のHRである。前代未聞、なんと東京ドームの天井に当たりそのまま右翼席に入った超特大弾である。看板を直撃するHRはたまにあるが、天井直撃HRはこの松井のHR以外記憶にない。

 

誤解の無いように言っておくが、稼働年数が短いとはいえ、森中は中継ぎとしてそこそこ活躍したピッチャーである。しかしなぜか松井には極端に相性が悪く、巨人戦ではとにかく打たれまくった印象しかない。その相性の悪さ/打者にとっての相性の良さ、を買われ、横浜で現役生活を終えた後は巨人に打撃投手として雇われた。良い話である。

 

そんな森中の現役最終年の話である。その頃は調子を落とし主に敗戦処理をする投手となっていた。甲子園での対阪神戦、この日は序盤から阪神の猛攻により圧倒的な大差がついていた。その日の横浜ベンチはもう負けを覚悟しており、主戦ピッチャーを温存し、森中に登板が回ってきた。森中は無事阪神打線を抑え、その次の回に打席が回ってきた。投手温存のため当然代打は無く、森中はそのまま打席に立った。

 

 

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みよ、阪神の藪から打った完璧なHRを!あの広い甲子園の、浜風が吹いて逆風になるのでとりわけ難易度の高い右方向へ引っ張るスイングでライトスタンドに突き刺さる豪快な一発である。森中は主に中継ぎとしての登板が多く、滅多に打席に立つことはなかった。投手としての成績を落とし、敗戦処理となったがゆえに生まれた打席でのHRであった。ちなみに森中にHRが生まれようが焼け石に水で点差は埋まらず、そのままこの日の横浜は敗れたし森中もこの歳で現役を引退している。しかし、稼働年数が短いとはいえ、あまり成績を残せなかったとはいえ、森中聖雄が記憶に残る選手だったのは間違いない。

 

 これは俺だけが思ってることではないと思う。勘だけど、たぶん小説家の保坂和志も森中のことが好きだと思う。

 

なぜかというと、彼のカンバセーションピースという小説の中に森中という登場人物が登場するからだ。これは偶然の一致ではない。なぜならこの小説のなかで横浜ベイスターズの試合のシーンがけっこうな頻度で登場するからだ。

 

カンバセイション・ピース (河出文庫)

 

 

俺が持ってるのは新潮文庫から出てるんだけど、いま調べたら河出文庫になってた。へえ。河出の表紙、誰が撮ってるのか知らないけど、新潮文庫版は佐内正史である。この小説で描かれているのは2000年の横浜ベイスターズ。小説の初出は2002年の新潮。単行本化は2003年。時代である。

 

「なんで石井義人を使わないんだろう」

と言い出した。

「――優勝した年は不動のオーダーでよかったけど、いまはそんなチームじゃないんだから、もっと来年のこと考えて若手を使ってかなきゃダメだよ。このまま権藤が監督やってたら、大矢の時代の財産を食い潰して、また五年か十年、Bクラスだよ」 

   (保坂和志カンバセイション・ピースより引用。以下同じ)

 

この会話、今の横浜ファンが聞いたらひっくり返るかもしれない。98年に優勝した横浜ベイスターズは、同じ権藤監督の指揮の元、99年3位、00年3位の成績を残し、Aクラス常連の強豪であったが、横浜ファンの大半は「権藤監督の采配が悪いから3位なんだ、監督を変えるべきだ」と主張していた。この小説の中の会話は、当時の空気をリアルに再現している。そして今からでは考えられない高望みである。

 

「でも大洋ファンは森を嫌ってるぜ」

「権藤じゃなくなってくれれば、森でも誰でもいいよ、俺は」

管理野球は横浜のチームカラーに合わない。監督はやっぱり生え抜きの山下大輔がいいって言うに決まってんだよ」

 

今だとこんな会話、滑稽以外の何物でもないが、こんなファン、当時の横浜にわんさかいた。ご存知の通り、この後横浜ベイスターズは森監督の元で最下位に転落し、山下大輔が監督になってから、万年最下位のスタイルが定着する。この小説の執筆時点では分からないことだ。なんというか、天罰だと思う*1

 

 

ちなみにこの小説は野球小説というわけではない。というか、事件という事件すら起こらない。広い家で共同生活を過ごす若者たちの日々を、たんたんと描いただけの作品である。その登場人物のなかに森中がいる(森中が森中聖雄から来ていることは明白である)。そして登場人物たちが横浜ベイスターズファンで、横浜スタジアムで観戦するシーンが何回か描かれるだけなのでこの小説における野球の重要度はそれほど大きいものではない。あ、事件らしい事件が起こらないと書いたが、終盤でちょっとした事件らしいことがおこる。これはネタバレになるかどうか分からないが、2000年の横浜ベイスターズが作中に登場するとなれば知ってる方は誰もが知っている事実であるのでここに記す。つまり、権藤監督が退任し、横浜の不動の四番だったローズが電撃的に引退を発表した。

 

「ローズが引退したショックで熱を出した」

と、私が寝ている枕元で笑い、全然野球がわかっていない森中がそれに同調して、

「内田さんにとって、野球って何なんですかぁ、一体。教えてくださいよ。ローズって、そんなに偉大な存在なんですかぁ?おれの友達にも岡田有希子が自殺したときに、ショックで一週間小学校休んだヤツがいましたよ」

というのを、話としてはおもしろいから否定しなかったけれど、この結末は落胆するどころか腹が立つだけで、最終戦のあと夜遅く前川からかかってきた電話を聞きながら、ローズがいない球場で、ローズを抜かした選手たちが、ここにいないローズを思って涙を流すというチンケなメロドラマの一員にならなくてすんだことを誇らしいとさえ思って、

「ローズがいない空間に向かって流す涙なんか、おれは持ってない」

と、痛い喉で前川に言ったけれど、くやしいことに前川の話を聞いているだけで私はそのときの球場の光景がまざまざと浮かんできてしまって、結局私自身もそこにいたのと変わらない満足感さえ得てしまっていた、 

 

いやー。この喪失感、凄くないですか。ちなみに同年に駒田も退団しているが、誰も駒田でここまでの喪失感を感じない(駒田ファンの方、すみません)。とにかく当時のローズは神だった。分かる。超絶分かる。この喪失感。「ローズがいない空間に向かって流す涙なんか、おれは持ってない」歴史に残る名文である。俺も機会があったら引用したい(今してるけど)。

 

ちなみにこの小説の中で人をイラっとさせる話の仕方をする森中であるが、この話し方のモデルは小説家の中原昌也とのことであった。

 

*1:ちなみにこのあたりのベイスターズ崩壊の経緯は以前記事にしたことがある。ご存知ない方がいれば併せてお読みください。 

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