読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

個人的備忘録

512 名前: 名無しさん脚 投稿日: 02/04/02 19:13 id:Kc4lBLeO
505>
ドイルの写真ね。。
うん、表面的にはカッコイイよね。
深みはないけど。ヤバイね。


521 名前: 512 投稿日: 02/04/03 16:16 id:bSPU/C5O
ドイル、マジヤバイ
ただカッコイイだけ。
こんな写真撮っていいの?って感じでヤバイんだけど


526 名前: 512 投稿日: 02/04/04 12:22 id:JuJbJvBr
ドイルの写真はただ表面的にカッコイイだけ。
この時代にみれば新鮮だけど、10年後は色褪せる。
広角レンズの絵は、それ自体個性的で面白い。
でもただの装飾でしかない。現実をいかに非現実にみせたいか
だけ。

以上の点から、写真家というあり方からすれば
ドイルはむしろデザイナー的だね。
現実という絵を、いかにドイルの世界に装飾するかという
作為がすべて。


528 名前: 512 投稿日: 02/04/04 12:28 id:JuJbJvBr
つまり、自分の世界観という「色」に縛らレてる。
この場合の「色」とは表面的な意。

ただカッコイイかだけの価値観。
この意識はヤバイね。


531 名前: 512 投稿日: 02/04/04 16:57 id:JuJbJvBr
スナップ写真にあまり意味がない?笑
おそらく多くの写真家の写真はスナップ写真のカテゴリーに入ると思うけどね。
スナップ写真こそ、ある意味、作家が現実と対峙する「特別な瞬間」だね。
ここに意味を見い出さないで、どーすんの?

それと、俺は別に深読むしてるわけではない。
意識のポイントをドコにおいてるかが違うだけ。

それと、色々な作家と出会うと
やはり稚拙というか、表現の狭い意識の作家は
目立つ。
それは、同様にこのスレの作家にもあてはまる。
蜷川は駄目としても、HIROMIXは少なくとも
ドイルより画然とした表現意識があるね。

そもそも「カッコイイ」という言葉はさ
人を曖昧にさせる。今どきの写真を評して
カッコイイという言葉で片付けると楽過ぎ。
その時点で思考が止まる。もっと分析しろよ。
なんでカッコイイ?
ドコがカッコイイ?

カッコイイという言葉は、自分の表現、感覚を陳腐化させる。



532 名前: 512 投稿日: 02/04/04 17:18 id:JuJbJvBr
色褪せるという表現をドイルに使ったのは
彼の表現が表面的なんで、同次元で批判しただけ。

色褪せる色褪せないという観点でみてるわけではない。
もっとも、写真には必然的に同時代性というコードがつきまとうので
この観点自体、本来はナイーブな問題だけどね。


538 名前: 512 投稿日: 02/04/04 23:42 id:JuJbJvBr
写真をそもそも芸術なんて思う作家はたかが知れてる。それに
写真の真理を理解してない場合が多い。

この境地で、自らの写真を芸術ではないと表明しているドイル。
裏をかえせば、この写真の真理にふれる声明なわけだ。

ただのスナップだ!という言葉の裏には
巧みな論理が働いてる。

これがドイルの文章の真意だね。

この前提で、わざわざ写真を芸術ではないと
いうのは稚拙。これは俺の個人的感想。

オメーラの多くが、ドイルはただの写真だといってるから
ただカッコイイぐらい思っていいんじゃん?
なんて感じだけど、実はレトリックというか
写真に対するドイルの姿勢が盛り込まレてるわけだ。

素直に受け取ったのではなく、表面的に受け取っただけ。
このドイルの言葉は深い。


540 名前: 512 投稿日: 02/04/04 23:48 id:JuJbJvBr
なんかちょい読みにくいな。

つまり、「これは写真すらない!」という定義は
ドイルの写真に対する真意なわけ。これは真理をいい放つ
深い意味。

この言葉をただ鵜のみにして、ドイルがただの写真といってるから
気楽にただカッコイイぐらいに思えばイイじゃん!ってのは
表面的すぎるね。藁

で、俺はこの真理をわざわざいい放つレベルが
実は表層的だと思ってる。
なぜなら、そんなにニュートラルな存在(写真)だといってるに
かなりドイル色。作為丸出し。
彼のいう真理とは、ほど遠い。


555 名前: 512  投稿日: 02/04/05 00:23 id:nspm+aG6
別に難しく考えろなんていってんじゃない。
ここにいるオメーラがどーいうヤツか知らないが
もし、オメーが写真家(この言葉好きではないが)になりたいなら
とことん考えろ!

世の中の認められている作家の共通点は、わかるか?
それは彼等のほとんどが、己の写真に対して明確な考えなり、姿勢を
文章で残している。

この事実は、いいかえれば、写真にたいして
「対峙」し、「自分」と向き合い、答えをださないと
作家にはなれない!といっても過言ではない。

これが現実。
写真という性質上、文で表現することはない
なんて考えは、ただの逃げにしか思えない。
言葉のコードには、限界があるのは確か。
でもはじめから、思考をやめるのと、思考決意し
追求するとでは、「深さ」が違う。


939 名前: ぷぷぷ 投稿日: 02/05/04 21:25 ID:4ampT907
人を感動させるために写真撮るのか?ぷぷぷ
オメーが自分と向き合ったら、他人を感動させることができるのか?
その動機が俺には理解できない。
いいかえれば、他人を感動させるために、自分と向き合う。


966 名前: ぷぷぷ 投稿日: 02/05/10 14:27 ID:d+THax7Q
最近、写真における意識の言語化という議論で展開されてきたが、
おおむね抽象的すぎて、読み手に多くの意識のズレというか、様々な
解釈が生まれ、なかなか具体的な方法論になってないと思ったな。

自分で議論をふっかけたが、自分も現実、迷える写真家のひとりなんで
この最近のスレを書き込みながら、考え込んでいた。

いかに自分の写真、表現に対する意識を明確にするか。
その結果、自己に限りなく向き合っていく。自己の発見。
このプロセスに、言語化は有効。
ではその方法論は?具体的な実践は?

先日、真夜中の王国で、川内倫子のインタビューを見た時
思い付いたんだが、こーいう方法もあるのでは?
「具体的な質問を答える。」これは、まさしく写真に激しく対峙する
行為であり、自己がみえてないと答えられない。


967 名前: ぷぷぷ 投稿日: 02/05/10 14:33 ID:d+THax7Q
この背景として、
カメラを持った人間は、
よほど売れない限り、このような具体的な質問をされ
写真に対しての自分の考えを現す機会がない。
いいかえれば、このような機会がない限り、写真という
性質上、ただなんとなく感覚で日々悶々とシャッターを切るわけだ。
ぷぷぷ



968 名前: ぷぷぷ 投稿日: 02/05/10 14:54 ID:d+THax7Q
例えばこんな質問。

Q1)なぜ写真を撮るのですか?

Q2)写真という媒体を選んだ理由は?

Q3)モノクロですか?カラーですか?
  その理由は?その使い分けの理由は?

Q4)被写体と向き合うとき、心掛けていることがありますか?

Q5)現在のあなたのテーマは?なぜそのテーマを選んだのか?

Q6)いま使用してるカメラを選択した理由は?

Q7)アングルを決める時の、意識は?心掛けは?
  何が重要ですか?

Q8)プリント(焼き込み)に対しての、考えはありますか?

Q9)写真家とは?その定義は?

Q10)カメラとは?