阿部和重グランドフィナーレから12年後の秋葉原ヨドバシカメラ

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

 

12年ぶりに再読した。表題の作品は芥川賞を受賞した中編小説だが、この本には「新宿ヨドバシカメラ」と題された怪文書のような短編小説も載っており、それがもの凄く面白かった。当時ももちろん面白いと思ったが、再読するまでこの短編の存在をすっかり忘れていた。

 

この小説を要約すると、「先生」と呼ばれる全裸の男性を俯瞰の視点で捉え、彼のペニスを新宿都庁に見立て、彼のたいこ腹を山手線に見立て、彼の陰毛の中にあるホクロを新宿ヨドバシカメラと見立て、男女が情事に及びながら新宿とヨドバシカメラを語る小説である。何を言ってるのか分からない?だから言ったでしょう、怪文書のような小説だと。面白い小説なので興味があれば各自で読んで欲しい。

 

――先生?

――何だい?

――それで結局のところ、何を仰りたいのです?

――さあね。正直、わたしにもわからんよ。生憎とね!

――こう言ってよろしければ……。

――何だい?

――先生の太鼓腹はひどく雄弁そうに見えて ……。

――それで?

――とても未来を見通せるような代物ではないわ!

――結構! 上出来だ!

 

何を言ってるのか分からなすぎてこのシーンで必ず笑ってしまう…。

 

阿部和重の新宿ヨドバシカメラを読んだ俺は、なんだか秋葉原ヨドバシカメラについて語りたくなった。阿部和重は真俯瞰のカメラワークで新宿とヨドバシカメラをとらえてみせたが、俺は横からの定点カメラでヨドバシAkibaを捉えてみたい。そもそも、今でこそ秋葉原はオタク文化の街であるが、かつては家電の街、電子部品の街であり、さらに古くは青果市であった――というのは誰しもが語るところであるが、ここではヨドバシAkibaに定点を置いてその変遷を捉えていきたい。

 

ヨドバシAkibaの開業は2005年9月。グランド・フィナーレが2005年2月に販売されてから約半年後…ということになる。

 

今でこそヨドバシカメラには大型店舗がたくさんあろうが、2005年当時はそのような大型店は存在しなかったと記憶している。今でこそ横浜ヨドバシカメラは大型店舗のなりをしているが、それ以前は新宿ヨドバシカメラと同じように、横浜西口にあるペンシルビルの集合体であった。その後、横浜の三越が撤退し、その跡地をまんまとせしめたのがヨドバシカメラである。まるで竹中半兵衛がわずか16名の手勢で稲葉山城を奪取したかのような、あざやかな手つきではないか!

 

そのようなあざやかな手つきは、ヨドバシAkibaの建設においてもいかんなく発揮される。当時の秋葉原駅には昭和通り口と電気街口しか出口がなく、つくばエクスプレスの開業に合わせた大規模な再開発事業の果てに中央口が新設されたが、その中央口の目の前の広大な敷地を取得したのがヨドバシカメラである。秋葉原と言えば電気街、電気街といえば石丸電気サトームセンラオックスソフマップといった群雄たちが割拠する中、ノーマークだった昭和通りという不毛の地に巨大な城を築いたヨドバシカメラ。その後の歴史を鑑みると、江戸を切り開いた徳川家康のような剛腕としたたかさがあったと思わざるを得ない。

 

そんなヨドバシカメラも、最初から秋葉原の主として君臨したわけではなかった。徳川家康と同じ苦難を経験しているのである。ヨドバシAkibaをめぐる四つの事件としてここに記したい。

 

開業当時のヨドバシAkibaの売り場の酷さを知っている人はどれだけいるだろうか?一般的な量販店の家電売り場をのぞいてみよう。掃除機は掃除機売り場、洗濯機は洗濯機売り場、クーラーはクーラー売り場にあるのが当然である。ところがヨドバシAkibaは違った。開業当時の家電フロアにあったのは、日立売り場、東芝売り場、パナソニック売り場、SHARP売り場、サンヨー売り場…つまりメーカーごとの売り場がまず先にあったのである。その日立売り場の中に、日立の冷蔵庫、日立の洗濯機、日立の電子レンジ、日立の掃除機…等々が置いてあるわけである。

 

これほど分かりにくい売り場があるだろうか。例えば冷蔵庫を買いに行った人は売り場が違うので各メーカーの冷蔵庫を比較検討できないということになる。

 

なぜこんな酷いことになってしまったのか?おそらく、秋葉原の地に移封されて間もないので優秀な家臣団がいなかったのだろうと推測される。もちろんヨドバシには優秀な家臣団がいたはずであるが、横浜の例で言えば横浜ヨドバシは当時ビックカメラやアリック日進たちと激しい戦いを繰り広げていたのであり、そんな戦線を各地に抱えていたのであり、とてもではないが優秀な家臣を秋葉原に割くことはできない…そう各地のヨドバシ家臣団が考えたとしても不思議ではない。かくしてヨドバシAkibaは最低限の家臣で関東最大の売り場面積を賄わなくてはならなくなってしまった。当然人手が足りないので各メーカーに販売員の応援を要請する。当時のヨドバシAkibaの立場は本当に低かったので、それだけ優秀な家臣団を応援として出すのならわてらの思い通りにやらせてもらいまっせ…と各メーカーが主張して力関係の差でああなってしまったのではないかと推測される。

 

無論と言うか言うまでもなく、そのような売り場は不便このうえなかったので、開業からわずか半年ほどでメーカーごとの売り場ではなくジャンルごとの売り場に改められた。まるで武田の騎馬隊のような怒涛のクレームが消費者からいったのであろう、徳川家康の三方ヶ原の敗北のような、王者ヨドバシの今からでは考えられない圧倒的な惨敗であった。これが一つ目の事件である。

 

二つ目の事件は何かと言えば、5年ぐらい前の話だと記憶しているが、北側に面した出入口が閉鎖されたことである。今現在はヨドバシAkibaの出入り口は3つしかない。JR中央改札方面出入口、JR昭和通口改札方面出入口、つくばエクスプレス方面出入口である。ここにもうひとつ、開業当時はあったのに現在は失われた北側の出入口があったのだ。なぜ失われたのだろうか?

 

これもまた推測の域を出ないが、他の3つの出入り口が駅方面へと接続するのに対し、北側の出入り口は公共交通機関にまるで接続しない出入口である。そこを出れば何もない不毛地帯であるところの昭和通りである、そんな出入口を利用するのは主に地元民…ということになる。つまり雨降りの日などは秋葉原界隈の地元民は昭和通り口の改札を抜けヨドバシAkibaに入り店内を通って北出入口から出るという手法でヨドバシAkibaをアーケード代わりに使っていたのである。ヨドバシAkibaはこのような地元民を出入口封鎖という実力で排除しにかかったわけである。

 

このような対応からも分かるように、この頃にもなると秋葉原でもヨドバシAkibaの一強体制が構築されていた。石丸電気が、サトームセンが、ラオックスが、ソフマップが、電気街において消耗戦をしている間に、争いをまったくしなかった昭和通りヨドバシAkibaの一人勝ちとなったのである。まるで朝鮮出兵勢力を削がれた加藤清正黒田長政らを尻目に、日ノ本での留守居役を仰せつかって一人で兵力を温存できた徳川家康のように…。かくして石丸電気エディオンに吸収され、サトームセンヤマダ電機に吸収され、ラオックスは中華資本の傘下となり、ソフマップビックカメラの傘下となったわけである。

 

そのようにしてライバルたちが滅びゆくなか、一強として昭和通に君臨するヨドバシAkibaが売り上げに1ミリも貢献しない地元民の排除にかかったとしてもなんら不思議ではない。うちで買い物したければ駅の方からどうぞ、てなもんである。

 

三つ目の事件としては、およそ1年ぐらい前の話と記憶しているが、7階の専門店フロアの大幅な配置換えである。まるで関ヶ原の後の論功行賞のような、大幅な改易ぶりであった。まずやり玉に挙がったのは7F半分以上の売り場面積を誇り、ヨドバシAkibaを開業当初から支える譜代大名であるところの有隣堂である。いくら譜代とはいえ集客に貢献しなかったら許しまへんで、という強い意思のもと、売り場面積が当初の半分程度になるという大幅な減封を喰らった。

 

とはいえ、有隣堂はまだいい。一番悲惨なのはタワーレコードである。7Fタワーレコードのすぐ下のフロアであるヨドバシ6FでもCD・DVDを売っており、同じ値段ならヨドバシで買った方がポイントつくのでお得、という強烈なハンデの中で頑張って営業しているわけである。いくら譜代とはいえ集客に貢献しなかったら許しまへんで、という強いプレッシャーの元で、強力なライバルであるヨドバシを相手に、江戸時代の百姓は生かさず殺さずの精神で今日もヨドバシアキバで営業している。

 

そんな秋葉原最強を誇るヨドバシAkibaであるが、つい最近、衝撃的なものを目にした。おむつをはじめかなりのベビー用品を取り扱うようになったのである。娘が小さい頃は錦糸町アカチャンホンポやベビザラスに行くぐらいしか選択肢がなく、そのベビザラスも錦糸町から撤退してしまったので選択肢が狭まるなあ、と思っていたが、なんのことはない秋葉原のヨドバシでベビー用品を取り扱うようになったのである。ヨドバシでポイントが貯まるおむつである。いや、ベビー用品だけじゃない。化粧品・浴衣・甚平・掛け軸・飾り皿・漢字付きベースボールキャップ・徳利セット・招 き猫・博多人形こけし・提灯・はちまき・キーホルダー・変圧器・コンセントプラグ・郷土玩具・千代紙・だるま・扇子・刀…。そう、外国人観光客相手の土産物屋になっていたのだった。外国人観光客相手の商売といえば中華資本傘下のラオックスが猛スピードで業績を回復しており、一強と思われたヨドバシAkibaの方針を変えられるほどに戦局はあらたなステージに突入しているのだ…と思わずにはいられなかった。これが四つ目の事件である。

 

いくら強大を誇った徳川幕府と言えども、わずか300年足らずで崩壊してしまうのである。ヤマダ電機の参入に加えビックカメラ秋葉原に居を構える乱世の時代、このままヨドバシAkibaの一強が続くのかどうか。

 

12年経った俺の腹は立派な太鼓腹になってしまった。もちろん俺の腹はひどく雄弁そうに見えるが、とても未来を見通せるような代物ではない。