私は世界に一枚だけのTシャツを持っている。
それは10年以上前の話だ。私が瀬戸内海の直島に旅行で訪れたとき、ドミトリーでたまたま私と同室になった男が私のTシャツに油性マジックで鯉の絵を描いてくれたのである。曰く、東京でデザイナーをしていたが仕事を辞めて徒歩で日本一周をしている、貧乏旅行なので金が無い、夕飯を奢ってくれるならお礼にあなたのTシャツに絵を描く、とのことだった。面白そうだったので私はその取引に応じ、宿の近くの焼き肉屋で男に夕飯をご馳走した。彼が焼き肉屋の座敷でTシャツに描いてくれた鯉の絵は、予想していたよりもずいぶんと精緻で立派なものだった。
その男とは翌日の朝に別れた。名前を聞いたのだが忘れてしまった。男とはそれきりである。手許には男が描いた鯉のTシャツだけが残った。そして10年の月日が流れた。大切に扱っていたつもりではあったが、さすがに10年も経てばTシャツの襟元もヨレヨレになり、耐用年数をとうに過ぎ処分するのが適切であるように思われた。
もちろんそれは私にとっての思い出の品であり、なかなか捨てづらいものである。一方で、狭い我が家の収納が有限であるのもまた事実である。ならばいまここでその思い出にまつわる話を全て書き綴り、その思い出をここにとどめることでこころおきなくTシャツを処分することとしたい。
不思議なことに、私はその直島をめぐる旅行で、1枚のTシャツを手に入れ、1枚のTシャツを失った。失ったのはモリゾーとキッコロのTシャツである。鯉のTシャツを手に入れるのが必然なら、モリゾーとキッコロのTシャツを失うこともまた必然だったように思う。
男と別れた私は、一人で別の島に向かうための船にのっていた。そこは直島からそう遠くはない島で、かつて操業していた銅山の精錬所の廃墟がある、とのことだった。趣味で写真を撮る人には分かると思うが、廃墟というのはとても魅力的な被写体である。写真が好きな私は今回の旅で絶対にここを訪れようと当初から決めていたのだ。
レンガ造りの、とても大きな建物だった。大きさで例えるならまさに横浜の赤レンガ倉庫ぐらいはあるだろうか。しかし屋根はとうの昔に崩落し、レンガの壁もところどころ崩れ、建物内部からは数本の木が生い茂っていた。人の手が入らなくなってから十数年以上は経ったであろう、まごうことなき立派な廃墟であった。
私は夢中になってカメラを構え、シャッターを切った。どこをどう切り取っても絵になるからだ。同じ船でこの島にやって来た数人も私と一緒にこの廃墟を見にきていたが、数枚写真を撮っただけで、やがてどこかへ行ってしまった。廃墟には私一人だけが残った。
廃墟に着いてから小一時間は経っただろうか。なんの脈絡も予告もなく、唐突に「それ」がやってきた。便意である。
今までに経験したことのない、大型で強い便意であった。私は直感的に、これは無理だと悟った。我慢すれば引っ込む便意と、引っ込まない便意がある。これは間違いなく回避不能な直下型の便意であった。港へは歩いて10分。そこにはトイレがあっただろうか。いや、そもそもこの状態で徒歩10分でたどり着けるだろうか。自分には分かる、これはちょっとした振動でも漏れる。港へ戻る途中で万が一力尽き漏らそうものなら、社会的に死ぬ。
私の取りうる選択肢は、もはや野グソしかないように思われた。しかし、いいのか?いかに廃墟とはいえ、誰かの所有地ではないのか?立ちションですら軽犯罪なのだから、私の野グソは立派な犯罪なのではないだろうか?
その時、私の脳に突如としてフラッシュバックしたのは金田一少年の事件簿のワンシーンだった。自分自身が死にかけているような状況では他人を死に追いやってしまったとしても罪に問われることはない――悲恋湖伝説殺人事件における重要なテーマ、つまり緊急避難である。乗っていた船が難破して、波間に浮かぶ板切れにしがみつきなんとか生き永らえようという極限状況であれば、同じ板切れにしがみついてくる人を振り払いその人が溺死したとしても罪に問われることはないのである。そう、私もまさに極限状況で死(社会的に)に直面しているではないか!ここで私が野グソしたとして、誰が私を罪に問えるというのか??
私は重大な決断を下し、そして便も下した。この極限状況から解放された。私は生き残ったのだ。
しかしそれはそれで乗り越えねばならないもう一つの問題があった。つまり、どうケツを拭くのかという問題である。ケツを拭く、には二重の意味がかかっているのだけど、端的に言えば私はその時ティッシュを持っていなかったのである。
しかし死線を超えたその時の私の頭は明晰に冴えわたっていたのであり、どうすべきかは論理的かつ明確に即断することができた。その時の私はTシャツの上に半袖シャツを着ていたのだ。Tシャツか半袖シャツ、どちらかを喪失してもなんら支障がない、ならばそのどちらかで拭けばいい。私はおもむろにモリゾーとキッコロのTシャツを脱ぎ、そして用を足してことなきをえた。私は生き残ったのだ。
そして私はそれらすべてを埋めた。さらば、モリゾーとキッコロ。全ては終わったのだ。そのようにして私は島を後にした――
それから数年の月日が経った。私はそんな生き死にの戦いのことなどをすっかり忘れて日常生活を送っていた。そんなある日のこと、私はあるニュースを読んでひっくり返った。
なんと、その廃墟であった精錬所が美術館として建て直されリニューアルオープンするというのだ!
犬島精錬所美術館
つまりそれの意味するところとは、私のモリゾーとキッコロがとうとう暴かれたということである。死にたくなってきた。日本ひろしといえども、自分の野グソを掘り起こされたことをニュースで知った奴などなかなかいないのではないだろうか。
Tシャツにまつわる思い出は以上です。