普通にトイレで用を足せるようになった。ズボンとおむつも脱げるようになった。そろそろおむつ卒業の日も近いか…。おむつ卒業すると行動範囲もさらに広がる。プール。温泉。温泉行きたいな…。いや別に温泉じゃなくてもいいんだ。ホテルの大浴場で娘と一緒に浸かりたい。
タイトルが俺の言いたいことの全てです。まあ聞いてください。
町田康の浄土という短編集を何気なく読んでたのですが、その中の短編の一つ「ギャオスの話」を読んでたら、なんだかシン・ゴジラとシンクロしまくっていて、まるでシンゴジラパロディのようでとても面白く読め興奮しました!
物語は、JR中央線中野駅北口に面する公園に突如として全長65mの怪獣・ギャオスが登場するところから始まります。
ギャオスの第一発見者、胤 田平夫は、驚きのあまり脱糞します。
数時間後、病院に搬送され恢復した胤 田はギャオスの最初の発見者として共同インタビューを受けたが脱糞を恥じて満足に喋ることができなかった。
しかし現場の惨状はそれどころではなかった。胤 田が昏倒した直後、ギャオスもまた脱糞、その糞量は胤 田の比ではなかった。
またギャオスの便臭たるや激烈で通行人は目や頭の痛み、吐き気、目眩ちうった症状に見舞われた。痛みは激烈であった。
よく肉食獣の糞は臭いというがまったくその通りでギャオスの糞が臭いのはギャオスが肉食獣だからであった。
そういえば怪獣もので脱糞シーンを今まで見た記憶がないが、彼らも生き物なのだから食べ物を食べたら糞ぐらいするだろう、そういう意味ではリアルな描写といえます。まるでそびえ立つクソだ、っていうのはフルメタルジャケットのハートマン軍曹の名セリフですが、比喩でもなんでもなくマジでそびえ立つクソですからこれ。
ギャオスの食料は人間です。最初は中野駅周辺で食事をしていたのですが、中野駅周辺から人の気配がなくなると食物を求めギャオスは新宿に移動します。
甲州街道は糞によって途絶、建物は軒並み超音波で切断、或いは素手でどつきまわされて倒壊した。
政府とて拱手傍観していたわけではない。
対応はむしろ迅速であった。
この錦奔一がもうねえ、脳内で大杉漣で再生されるっていうか、この後の奔一の行動は大杉漣がやってると思うととても面白いのですが、あまり引用しすぎるとギャオスの話を読む面白さを削いでしまいますので自分で読んでください。
そして総理は自衛隊に銘じて京王プラザホテル前に座り込んだギャオスに35㎜対空連射砲を打ち込むがまるで効かない、怒ったギャオスの超音波攻撃で機甲部隊は壊滅する、というお約束の描写もありますが、この部隊の指揮官・八田八郎もやはりタバ作戦の司令官・ピエール瀧で脳内再生されます。これもまた…w や、いいです。ご自分で買ってお読みください。
ちなみに35mm対空砲とはこれであります。
火力足りなくない?タバ作戦では10式戦車が総攻撃をかけました。10式はギャオスの話の当時は存在しないのでせめて74式をださんかい、と思ったのですが、京王プラザホテル前にいるのなら位置的に新宿中央公園から砲撃するしかなく、戦車だと俯角が足りず足元しか撃てないとなると高射砲撃に合理性ある!町田康はミリオタなのかもしれません。
ひとしきり暴れたギャオスは西参道口の方へ歩いて行き首都高速4号線を足で滅茶苦茶に蹴り壊して南へ向かった。
関係者は、「このまま真っ直ぐ南下して代々木公園に行ってくんねえかなあ」と思った。
一般の都民はテレビを見ながら、「くんな。こっちにくんな」と思っていた。地方の人は、「おもろ」と思ったり、そうは思わなくてもむやみに興奮して隣の人の肩をばんばん叩いたりしていた。
錦奔一もまたテレビ画面にみいっていた。
しかし奔一は一国の指導者である。ただ、くんな、と念じているだけではすまない。
奔一は迷っていた。彼はある決断を迫られていた。実は奔一はアメリカ合衆国大統領ゲオルグ・スターから、「なんやったら僕らの軍隊が出動したってもええよ」と云われていたのである。
奔一は専門家チームからいかな米軍といえどもギャオスを倒すことはできないだろうという報告を受けていた。専門家はどんな強力な軍隊もあのいやらしい超音波によって撃滅されるであろうと云ったのである。
合衆国大統領が登場し決断を迫られるのもシンゴジラですが、専門家チームもまさにシンゴジラ的展開といえます。市川実日子、高橋一生たちが真剣にギャオスのそびえ立つクソを分析してるところ想像するとなかなか味わい深いものがあります。 そりゃあね。そびえたつクソという貴重なサンプルあるので採取して分析しますよね。実日子さんが。実日子さんがクソのデータを徹夜で分析してッターン!って。いけるかもしれません。って。言いますよね。想像するとめちゃめちゃ面白くないですか。
暴れ放題に暴れたギャオスは夜になると中野駅北口に面した公園に戻って眠った。戻ってくるギャオスを見て中野区の住民は、「マジかよー」と叫んだ。マジであった。
ギャオスは眠る前に脱糞した。
場所は朝と同じく中央線の線路上である。ギャオスはここを糞し箱と定めているらしかった。迷惑この上ない話で周辺住民は頭痛・眩暈・嘔吐感といった症状を訴えた。糞臭は風向きによっては方南通りを越え下北沢あたりまで漂うこともあった。中野の糞が下北沢で臭い。いみじきひがごとである。
俺はここでシンゴジラのレーザービームを思い出しましたが、そもそもビームなんて出さなくったって普通に怪獣が生活しているだけで、そびえたつクソの威力で広範囲に被害を及ぼすんです。まるでそびえたつクソのレーザービームだ!!
この後もいろいろな登場人物が現れるので、ぜひ皆様におかれましてはシンゴジラキャストの顔を思い浮かべながらギャオスの話を読んで欲しいのですが、この物語のラストもまるでシンゴジラと同じなんです。結局日本の力ではギャオスを倒すことはできず、中野駅前に居座るギャオスとともに共生する道を歩むという…!やべー。この話の初出は2004年1月号の文学界です。や、もちろんね、ギャオスの話自体は過去の怪獣映画のパロディなので似てる話になるのは当然なのかもしれませんが、でもこのラストってある?もちろん俺が不勉強なだけでシンゴジラ以前にもこういうラストの怪獣映画があったのかもしれないけど…いやでもシンゴジラを見た後で10年以上前の小説を読んだ時にシンクロしまくるのはとても面白い読書体験でした。皆も読んでみて!
数年前から蔵前界隈でモノマチという地域イベントが定期的に開催されるようになった。回を重ねるごとに規模が大きくなってるような気がする。今年で9回目である。
浅草橋~蔵前界隈はビーズや手芸、皮革関係をはじめ数多くの問屋・モノづくりの中小企業が存在し、またその周囲には多くの職人さんが工房を開いている。といっても小売りの形態で店を構えているところは半分ぐらいなので、あとは近所でも普段何をやっているのか分からない店が多く、そういった接点のない職人さんやモノづくりの企業を含め、街をあげてモノづくりの楽しさを知ってもらいたい…という趣旨でやってるのがモノマチである(俺の理解では)。
こういう機会でもないと行けない/見学できない店も多いし、「へー普段こんなことやってるんだあ」という素朴な感動がある。
今年は子ども向けのワークショップをやってる佐竹商店街の方に行った。
佐竹商店街の仏具屋でやってたワークショップ。好きなビーズを娘に選んでもらってオリジナルブレスレットをつくる。
娘用にと小ぶりにつくった。ぴったり。
ボードゲーム体験もあった。一見関係ないように見えるが、蔵前はバンダイ本社やエポック社本社をはじめおもちゃメーカー・問屋がひしめくおもちゃの街でもある。場所はややずれるが任天堂東京支店も浅草橋にある。
3歳児向けのゲームをいくつかみつくろってもらった。これはスティッキー。ダイスを振り青・赤・黄のうち出た目の棒を1本ずつ抜き取り最後に倒した人が負けの棒倒しゲーム。
対象年齢2歳以上のファッション神経衰弱みたいなゲーム。トップス、ボトムズ、靴、手持ちアイテムの4種カードを引きながら目当てのコーデを完成させる。神経衰弱はすでに持ってるので個人的にはスティッキーが欲しかったが娘がどうしてもこれが欲しいというので買ってしまった。
こんな感じのイベントやワークショップが御徒町~蔵前~浅草橋のエリアの100箇所以上で行われてるのだった。とてもじゃないけど一日じゃ全部回り切れないが、マップ片手にぶらぶら散歩してるだけで楽しい。第一回から見てるけど、ずいぶん若いお客さんが増えたなあという印象。でも飲食店も出店だしてたりスタンプラリーもやってるので子ども連れでも十分楽しめるし、小さい子どもにこそモノづくりの楽しさを知ってほしいなと思う。お子様連れの方、機会がありましたら是非どうぞ。
相変わらずハードディスクの写真を漁っている。
いや、もはやこの言い方は適切ではないのかもしれない。
俺はここのところずっと並行世界と行き来してる。あちらはあちらでの時間が流れている。ありえたかもしれないもう一つの世界。こちらの世界では政治生命を絶たれた政治家たちが権勢をふるい、こちらの世界では選手生命を絶たれたスポーツ選手が躍動する世界。
そういえばこの世界ともう一つの世界を行き来する小説があったな、ふと思い出したのが村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドである。
どんな話だったっけ、と文庫版の上巻をめくると、冒頭の序文にとんでもない引用があった。
太陽はなぜ今も輝きつづけるのか
鳥たちはなぜ唄いつづけるのか
彼らは知らないのだろうか
世界がもう終わってしまったことを
"THE END OF THE WORLD"
ぞっとした。まさに並行世界のことである。俺は小説を読んでいて、冒頭からこれだけ撃ち抜かれるような体験はしたことないかもしれない。
写真は死だ、と荒木経惟は言った。
しかし今の俺の感覚では少し違う。
写真とは、世界の終わりである。
ありえたかもしれないもう一つの世界の中で、世界がもう終わってしまったことに気づかない彼らが、今日も唄いつづけてる。
続く。
相変わらずハードディスクの写真を漁っている。
デジタルデータなので数年前に撮った写真でも色あせることはなく、まるで昨日撮ってきたかのような生々しさがある。そこに写っているのは、都知事としての猪瀬直樹、総理大臣としての鳩山由紀夫、横浜ベイスターズの選手としての工藤公康…。これらの写真を見て、人は懐かしさを感じるのだろうか?
俺は、全く感じなかった。
まるで並行世界の写真のように思えた。
並行世界での日本では、今も鳩山総理が友愛を語り、猪瀬都知事は都営地下鉄の民営化に辣腕をふるい、お台場にはガンダムが立ち、歌舞伎座がまだ取り壊される前で、横浜のエース工藤公康は今日も大きく曲がるカーブを放ち、俺はといえば若く痩身であった。
続く。