阿部和重グランドフィナーレから12年後の秋葉原ヨドバシカメラ

グランド・フィナーレ (講談社文庫)

 

12年ぶりに再読した。表題の作品は芥川賞を受賞した中編小説だが、この本には「新宿ヨドバシカメラ」と題された怪文書のような短編小説も載っており、それがもの凄く面白かった。当時ももちろん面白いと思ったが、再読するまでこの短編の存在をすっかり忘れていた。

 

この小説を要約すると、「先生」と呼ばれる全裸の男性を俯瞰の視点で捉え、彼のペニスを新宿都庁に見立て、彼のたいこ腹を山手線に見立て、彼の陰毛の中にあるホクロを新宿ヨドバシカメラと見立て、男女が情事に及びながら新宿とヨドバシカメラを語る小説である。何を言ってるのか分からない?だから言ったでしょう、怪文書のような小説だと。面白い小説なので興味があれば各自で読んで欲しい。

 

――先生?

――何だい?

――それで結局のところ、何を仰りたいのです?

――さあね。正直、わたしにもわからんよ。生憎とね!

――こう言ってよろしければ……。

――何だい?

――先生の太鼓腹はひどく雄弁そうに見えて ……。

――それで?

――とても未来を見通せるような代物ではないわ!

――結構! 上出来だ!

 

何を言ってるのか分からなすぎてこのシーンで必ず笑ってしまう…。

 

阿部和重の新宿ヨドバシカメラを読んだ俺は、なんだか秋葉原ヨドバシカメラについて語りたくなった。阿部和重は真俯瞰のカメラワークで新宿とヨドバシカメラをとらえてみせたが、俺は横からの定点カメラでヨドバシAkibaを捉えてみたい。そもそも、今でこそ秋葉原はオタク文化の街であるが、かつては家電の街、電子部品の街であり、さらに古くは青果市であった――というのは誰しもが語るところであるが、ここではヨドバシAkibaに定点を置いてその変遷を捉えていきたい。

 

ヨドバシAkibaの開業は2005年9月。グランド・フィナーレが2005年2月に販売されてから約半年後…ということになる。

 

今でこそヨドバシカメラには大型店舗がたくさんあろうが、2005年当時はそのような大型店は存在しなかったと記憶している。今でこそ横浜ヨドバシカメラは大型店舗のなりをしているが、それ以前は新宿ヨドバシカメラと同じように、横浜西口にあるペンシルビルの集合体であった。その後、横浜の三越が撤退し、その跡地をまんまとせしめたのがヨドバシカメラである。まるで竹中半兵衛がわずか16名の手勢で稲葉山城を奪取したかのような、あざやかな手つきではないか!

 

そのようなあざやかな手つきは、ヨドバシAkibaの建設においてもいかんなく発揮される。当時の秋葉原駅には昭和通り口と電気街口しか出口がなく、つくばエクスプレスの開業に合わせた大規模な再開発事業の果てに中央口が新設されたが、その中央口の目の前の広大な敷地を取得したのがヨドバシカメラである。秋葉原と言えば電気街、電気街といえば石丸電気サトームセンラオックスソフマップといった群雄たちが割拠する中、ノーマークだった昭和通りという不毛の地に巨大な城を築いたヨドバシカメラ。その後の歴史を鑑みると、江戸を切り開いた徳川家康のような剛腕としたたかさがあったと思わざるを得ない。

 

そんなヨドバシカメラも、最初から秋葉原の主として君臨したわけではなかった。徳川家康と同じ苦難を経験しているのである。ヨドバシAkibaをめぐる四つの事件としてここに記したい。

 

開業当時のヨドバシAkibaの売り場の酷さを知っている人はどれだけいるだろうか?一般的な量販店の家電売り場をのぞいてみよう。掃除機は掃除機売り場、洗濯機は洗濯機売り場、クーラーはクーラー売り場にあるのが当然である。ところがヨドバシAkibaは違った。開業当時の家電フロアにあったのは、日立売り場、東芝売り場、パナソニック売り場、SHARP売り場、サンヨー売り場…つまりメーカーごとの売り場がまず先にあったのである。その日立売り場の中に、日立の冷蔵庫、日立の洗濯機、日立の電子レンジ、日立の掃除機…等々が置いてあるわけである。

 

これほど分かりにくい売り場があるだろうか。例えば冷蔵庫を買いに行った人は売り場が違うので各メーカーの冷蔵庫を比較検討できないということになる。

 

なぜこんな酷いことになってしまったのか?おそらく、秋葉原の地に移封されて間もないので優秀な家臣団がいなかったのだろうと推測される。もちろんヨドバシには優秀な家臣団がいたはずであるが、横浜の例で言えば横浜ヨドバシは当時ビックカメラやアリック日進たちと激しい戦いを繰り広げていたのであり、そんな戦線を各地に抱えていたのであり、とてもではないが優秀な家臣を秋葉原に割くことはできない…そう各地のヨドバシ家臣団が考えたとしても不思議ではない。かくしてヨドバシAkibaは最低限の家臣で関東最大の売り場面積を賄わなくてはならなくなってしまった。当然人手が足りないので各メーカーに販売員の応援を要請する。当時のヨドバシAkibaの立場は本当に低かったので、それだけ優秀な家臣団を応援として出すのならわてらの思い通りにやらせてもらいまっせ…と各メーカーが主張して力関係の差でああなってしまったのではないかと推測される。

 

無論と言うか言うまでもなく、そのような売り場は不便このうえなかったので、開業からわずか半年ほどでメーカーごとの売り場ではなくジャンルごとの売り場に改められた。まるで武田の騎馬隊のような怒涛のクレームが消費者からいったのであろう、徳川家康の三方ヶ原の敗北のような、王者ヨドバシの今からでは考えられない圧倒的な惨敗であった。これが一つ目の事件である。

 

二つ目の事件は何かと言えば、5年ぐらい前の話だと記憶しているが、北側に面した出入口が閉鎖されたことである。今現在はヨドバシAkibaの出入り口は3つしかない。JR中央改札方面出入口、JR昭和通口改札方面出入口、つくばエクスプレス方面出入口である。ここにもうひとつ、開業当時はあったのに現在は失われた北側の出入口があったのだ。なぜ失われたのだろうか?

 

これもまた推測の域を出ないが、他の3つの出入り口が駅方面へと接続するのに対し、北側の出入り口は公共交通機関にまるで接続しない出入口である。そこを出れば何もない不毛地帯であるところの昭和通りである、そんな出入口を利用するのは主に地元民…ということになる。つまり雨降りの日などは秋葉原界隈の地元民は昭和通り口の改札を抜けヨドバシAkibaに入り店内を通って北出入口から出るという手法でヨドバシAkibaをアーケード代わりに使っていたのである。ヨドバシAkibaはこのような地元民を出入口封鎖という実力で排除しにかかったわけである。

 

このような対応からも分かるように、この頃にもなると秋葉原でもヨドバシAkibaの一強体制が構築されていた。石丸電気が、サトームセンが、ラオックスが、ソフマップが、電気街において消耗戦をしている間に、争いをまったくしなかった昭和通りヨドバシAkibaの一人勝ちとなったのである。まるで朝鮮出兵勢力を削がれた加藤清正黒田長政らを尻目に、日ノ本での留守居役を仰せつかって一人で兵力を温存できた徳川家康のように…。かくして石丸電気エディオンに吸収され、サトームセンヤマダ電機に吸収され、ラオックスは中華資本の傘下となり、ソフマップビックカメラの傘下となったわけである。

 

そのようにしてライバルたちが滅びゆくなか、一強として昭和通に君臨するヨドバシAkibaが売り上げに1ミリも貢献しない地元民の排除にかかったとしてもなんら不思議ではない。うちで買い物したければ駅の方からどうぞ、てなもんである。

 

三つ目の事件としては、およそ1年ぐらい前の話と記憶しているが、7階の専門店フロアの大幅な配置換えである。まるで関ヶ原の後の論功行賞のような、大幅な改易ぶりであった。まずやり玉に挙がったのは7F半分以上の売り場面積を誇り、ヨドバシAkibaを開業当初から支える譜代大名であるところの有隣堂である。いくら譜代とはいえ集客に貢献しなかったら許しまへんで、という強い意思のもと、売り場面積が当初の半分程度になるという大幅な減封を喰らった。

 

とはいえ、有隣堂はまだいい。一番悲惨なのはタワーレコードである。7Fタワーレコードのすぐ下のフロアであるヨドバシ6FでもCD・DVDを売っており、同じ値段ならヨドバシで買った方がポイントつくのでお得、という強烈なハンデの中で頑張って営業しているわけである。いくら譜代とはいえ集客に貢献しなかったら許しまへんで、という強いプレッシャーの元で、強力なライバルであるヨドバシを相手に、江戸時代の百姓は生かさず殺さずの精神で今日もヨドバシアキバで営業している。

 

そんな秋葉原最強を誇るヨドバシAkibaであるが、つい最近、衝撃的なものを目にした。おむつをはじめかなりのベビー用品を取り扱うようになったのである。娘が小さい頃は錦糸町アカチャンホンポやベビザラスに行くぐらいしか選択肢がなく、そのベビザラスも錦糸町から撤退してしまったので選択肢が狭まるなあ、と思っていたが、なんのことはない秋葉原のヨドバシでベビー用品を取り扱うようになったのである。ヨドバシでポイントが貯まるおむつである。いや、ベビー用品だけじゃない。化粧品・浴衣・甚平・掛け軸・飾り皿・漢字付きベースボールキャップ・徳利セット・招 き猫・博多人形こけし・提灯・はちまき・キーホルダー・変圧器・コンセントプラグ・郷土玩具・千代紙・だるま・扇子・刀…。そう、外国人観光客相手の土産物屋になっていたのだった。外国人観光客相手の商売といえば中華資本傘下のラオックスが猛スピードで業績を回復しており、一強と思われたヨドバシAkibaの方針を変えられるほどに戦局はあらたなステージに突入しているのだ…と思わずにはいられなかった。これが四つ目の事件である。

 

いくら強大を誇った徳川幕府と言えども、わずか300年足らずで崩壊してしまうのである。ヤマダ電機の参入に加えビックカメラ秋葉原に居を構える乱世の時代、このままヨドバシAkibaの一強が続くのかどうか。

 

12年経った俺の腹は立派な太鼓腹になってしまった。もちろん俺の腹はひどく雄弁そうに見えるが、とても未来を見通せるような代物ではない。

家飲みウィスキー党の至高の飲み方は「ファイナルアップ」、もはやこれは常識

今週のお題「家飲み」

 

はてなブログにはお題ボタンというものがあり、一週間ごとに記事のお題が設定してある。別に書いても書かなくても良いのだが、これは俺の得意分野なので書く。

  

俺は家で普段ウィスキーを飲み、奥さんは家で普段ビールを飲む。

 

皆に聞きたいのだけど、エヴァンゲリオンミサトさんの家の冷蔵庫を思い出してほしい。ビールでいっぱいである。あれを見て何を思うだろうか。酒好きなんだろうなあ、って、そういう感想だろうか。いや、もちろん酒好きなのだろうが、同時に俺はミサトさんの意思の強さを感じずにはいられない。だらしないようにみえて、さすがは職業軍人である、と思わずにはいられない。なぜなら、もし我が家の冷蔵庫があのような状態になっていれば、我々は冷蔵庫にあればあるだけ酒を飲んでしまうからである。

 

冷蔵庫に500mlロング缶が2本あれば、翌日には無くなっている。ロング缶が4本あれば、翌日には無くなっている。ロング缶が6本あれば、翌日には3本になっている。なぜ3本なのかといえば、翌日また3本飲めるなという思案が働くからである。これがもし4本だとしたら、今夜3本飲んだら明日は1本しかない、どうしよう、ええい4本全部飲んでまえ、となる。これをふまえて、もしうちの冷蔵庫がミサトさんの家の冷蔵庫状態だったらどうなるか考えて欲しい。あれだけ在庫があれば明日の酒の心配はない、となれば…飲む…!飲んでしまう…!ありったけのビール…!あればあるだけ…飲む…!限度まで…!

 

なので、我々はこと酒に関しては意思が弱いので、安いからとビールを箱買いしてしまったらあればあるだけ飲んでしまい結局は高くついてしまうので、酒に関しては基本的に冷蔵庫によぶんな在庫はもたず、常に500ml2本を揃えておく、無くなったら2本補充する、という方式に落ち着いた。

 

もしこれが350ml2本だとしたら、飲み足りない奥さんが絶対に「足りない。コンビニで買ってきて」と言い出すのに決まっているのである。我々が試行錯誤の末にたどり着いた家飲み損益分岐点、それが500mlロング缶2本なのである。

 

ことビールに関して言えば我々はかなり緻密な在庫管理をしていることがお分かりいただけただろうか。トヨタカンバン方式、ジャストインタイムの思想が我が家の冷蔵庫においても導入されているわけである。

 

それに比べたら、ウィスキーは楽だ。700ml瓶1本買えば、1週間は持つ。1週間で必ず1日は休肝日を設けているので、700ml÷6日間=1日の酒量約120ml、ダブルで2杯分。十分な酒量である。もちろんあればあるだけ飲んでしまうこともできるが、1週間のうちウィスキーを買っていいのは金曜日の夜だけ、というマイルールを課すことで、1週間単位の大局観を持って1日の酒量を調整しているのである。

 

俺が最近好きなウィスキーはブラックニッカリッチブレンドだ。

 

いいちこが下町のナポレオンなら、ブラックニッカリッチブレンドは下町のアレキサンダー大王といっても過言ではない。

 

え?

 

下町のナポレオンのナポレオンは人名じゃなく酒の名前だ、って?

 

そんなことは分かり切ってる!!分かり切ってるが、ここで下手な酒の名前を出すと戦争が始まるのである。

 

仮に、仮の話だが、じゃあここで仮にブラックニッカリッチブレンドは下町のボウモアである、と断言したとしよう。何が起こるか。決まっている。うるさいウィスキー党が絶対に戦をしかけてくるのである。「ボウモアとブラックニッカ、方向性が全然違うだろwむしろシーバスリーガルの〇〇年の…」「むしろ下町のアイラモルトといえばカティ―サークで…」「お前ら安いカティーサークしか飲んだことないのかよw カティーサーク33年は…」

 

うるせーーーーーー散れーーーーーーー!!!!!!

 

ああ、なんて面倒くさいの?もうだめだよ、ウィスキー党なんて面倒くさい人しかいないんだよ!株式会社はてな、なんて面倒なお題を出してしまったの?だから酒の話なんてしたくないんだよ俺は!!

 

もうね、君らがウィスキーに詳しいの分かった。よーく分かった。あなた達に対してマウント取る気はさらさらないから。だいたい、ウィスキー党はうるさいんですよ。ワイン党の次に面倒くさい。ワラの匂い?知らねーよ、ワラでも食ってろという感じである。ああ面倒くさい。俺の感じる面倒くささの概念図は以下の通りである。

 

ワイン党>>>>>越えられない壁>>>>>ウィスキー党=日本酒党>>>ビール党>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>焼酎党

 

このレベルの面倒くさい人たちの前で、迂闊に「下町の〇〇」とかって言える?言えないでしょ?だからいいんだよ、下町のアレクサンダー大王で。

 

話を戻そう。ブラックニッカリッチブレンドがいかにコスパの良い美味いウィスキーであるかという話である。

 

俺の感覚だと、1mlあたり2円以上するウィスキーが高級酒である。700mlで1400円以上。この金銭感覚だと、サントリー角ですら高級酒である。なので普段はよくブラックニッカクリアを飲んでた。1ml1円クラスのウィスキーだ。

 

ブラックニッカ クリア 瓶 700ml

 

しかし去年、数量限定でブラックニッカブレンダースピリットというウィスキーが発売された。俺が気づいた時にはすでにプレミアついて1本5000円とかになっていた。定価3000円くらいの酒に5000円。1ml7円。買えるはずがない。買えるはずがないが、俺もブレンダーさんのスピリットを感じたい…

 

ブラックニッカ ブレンダーズ スピリット 瓶 700ml

 

そう思ってた時に酒屋で出会ったのがブラックニッカリッチブレンドである。ブレンダーさんがリッチにブレンドしてくれているわけである。ブレンダーさんのスピリットの残り香のようなものを、俺はブラックニッカリッチブレンドに感じているのである。

 

ブラックニッカ リッチブレンド 瓶 700ml

 

実売でだいたい1000円くらい。1ml1.5円のウィスキーだ。普段ブラックニッカクリアを飲んでる俺からしてみれば、同じ安酒でもたった300円の違いでこんなに美味しいんだ、ってなった。味が、香りが、豊かというか…いや、リッチ言うてるやん、ってことなんだろうが…本当にリッチだなあ、って、それしか表現できないんだけど…。え?語彙が貧弱?うるせーワラでも食ってろ。

 

まあね。俺みたいな貧乏舌が、あれが美味いこれが美味いって言わないですよ。知ってますから。あなたの方がお詳しいですから。マウント取る気なんてさらさらないですから。

 

でも、これだけは言わせてほしい。

 

家飲みウィスキーの至高の飲み方、それはファイナルアップであると!!!

 

銘柄についてはマウントを取る気はさらさらないけど、飲み方なら話は別だ。あんたファイナルアップで飲まないの??かーーーー。ウィスキーに対するリスペクトがまるで足りないねあんた。おーっと、ググっても無駄だぜ坊主。なぜなら、ファイナルアップって、俺が勝手に名付けただけだから。この概念、本邦初公開である。この広大なグーグルの大地に、ファイナルアップについて書かれた記事は存在しない。

 

いいだろう、諸君。至高の飲み方、ファイナルアップを紹介しようではないか。

 

ここまで煽っておいてなんだが、ウィスキーの飲み方なんて自由である。好きに飲めばいい。ウィスキー党の中で幅をきかせているのは、トワイスアップ原理主義者である。ウィスキー党の中での少数勢力であるにもかかわらず、声がでかいことで有名だ。曰く、至高の飲み方だと。花開くと。知らんがな。好きに飲めばいいがな。という気になる。

 

しかし、そんな俺でも、家飲みウィスキーの至高の飲み方はファイナルアップであると断言してしまうのである。や、別に好きな飲み方をしてくれて良いんです。良いんですけど、ボトルの中の酒量が30mlぐらいになって、あ、これが最後の一杯だな、ってなったら、みんな迷わずファイナルアップで飲んでほしい。

 

作り方はこうだ。残りの30mlのウィスキーを全てグラスに注ぐ。瓶は空になる。いや、本当に空になったのだろうか?ここで空になったと言える奴は、ブレンダーのスピリットを感じていない。必ず数滴、ウィスキーが残っているはずである。瓶の中は、まだウィスキーの香気で満たされているはずである。そこに水を入れる。分量は自由だ。トワイスアップなら30mlの水でよいし、これより多くても少なくても良い。自由だ。そして栓をする。そしてシャカシャカふる。思いっきり振る。栓を開ける。振った水をグラスにそそぐ。以上である。

 

ウィスキーは究極のカクテルだ、という言葉がある。ご存知の通り、ウィスキーは通常いろいろな樽からブレンドしているからである。カクテルレシピっぽく言えば、瓶をシェーカー代わりにして水30mlをシェイクし、ウィスキー30mlにビルドアップして飲む、ということになる。シェイクしたら水に空気が含まれる、シェイクの仕方で風味は変わる。

 

瓶に残った数滴のウィスキーまで余さず飲む、これがファイナルアップの神髄である。ブレンダーのスピリットを最後の一滴まで感じる。ビンもきれいになり資源ゴミとして循環する。これ以上完璧な飲み方が他にあるだろうか。

 

あんた、さっきは偉そうにご高説を垂れてたけど、ファイナルアップ知らんかったんだってなあ?ん?今まであんたが捨てた瓶に残ったウィスキー、どんだけの量あるんだろうな。全部集めたら700mlくらいになるのかな。ブレンダーさんがそれつくるのにどれだけの年数と手間暇かけてるのか知らないはずないだろ、ええ??

 

キマった。完全にマウンティングが決まった。ウィスキーに今まで費やした金と時間と情熱はあんたの方が上だろう。しかし、こと家飲みの飲み方に関して言えば俺の方が上だった。いや、いいんだ。俺もあんたもただのウィスキー好きでただの酒好きだ。それでいいじゃないか。

 

 

 

俺も奥さんも酒が好きだ。そもそも奥さんが酒好きであり、週末のデートと言えば奥さんの職場があった池袋の立ち飲み屋か、俺の職場のある浅草橋の立ち飲み屋か、と、そういう感じであった。俺はもともと酒を飲む方ではなかったのだが、奥さんと付き合ってるうちに調教されてしまい、現在では俺の方が飲むようになってしまった。そんな次第である。

 

週末居酒屋めぐりが好きだった我々も、奥さんが妊娠してからはそれが出来なくなってしまい、出産したら出産したで娘が粉ミルクを飲むのを拒否するようになり母乳しか飲まず、奥さんの断酒はなおも続いた。俺は酒が大好きな奥さんの前で酒を飲む気にもなれず、俺も断酒した。

 

娘が乳離れしたのは忘れもしない娘が1歳8か月の正月だった。終わった。妊娠期間からかぞえて2年以上に渡る長い断酒期間が終わった。それはまさに戦いであった。いや、奥さんが一番戦ってたのはもちろんだが、俺は俺で戦ってたのだ。その長きにわたる戦いが終わった。

 

断酒期間があけて最初に家で飲んだ缶ビールの美味さったらなかった。最高だった。まるでナチスドイツからパリを奪還したパルチザンたちが飲んだ祝杯のような開放感…と言ったら言い過ぎなのだろうが、いやでもこれ比喩でもなんでもなくて長きにわたる戦いから解放された日の祝杯なのだった。

 

そんなわけで、今は家飲みがメインである。付き合いで行く以外には居酒屋にもいかなくなってしまった、もちろん居酒屋は大好きなのだけど、あの断酒期間のつらさを考えたら家飲みできるだけで十分幸せなのである。

 

 

www.mizuhebi.com

 

3歳1ヶ月

普通にトイレで用を足せるようになった。ズボンとおむつも脱げるようになった。そろそろおむつ卒業の日も近いか…。おむつ卒業すると行動範囲もさらに広がる。プール。温泉。温泉行きたいな…。いや別に温泉じゃなくてもいいんだ。ホテルの大浴場で娘と一緒に浸かりたい。

 

f:id:bad:20170608151537j:plain

 

f:id:bad:20170608151556j:plain

 

f:id:bad:20170608151613j:plain

 

f:id:bad:20170608151625j:plain

 

f:id:bad:20170608151639j:plain

 

f:id:bad:20170608151653j:plain

 

f:id:bad:20170608151706j:plain

 

f:id:bad:20170608151725j:plain

 

f:id:bad:20170608151738j:plain

 

f:id:bad:20170608151750j:plain

 

f:id:bad:20170608151834j:plain

 

f:id:bad:20170608151853j:plain

 

f:id:bad:20170608151812j:plain

 

f:id:bad:20170608151906j:plain

ねえ!シン・ゴジラ観た後に町田康の「ギャオスの話」を読むとめっちゃ面白いからみんな読んで!

タイトルが俺の言いたいことの全てです。まあ聞いてください。

 

浄土 (講談社文庫)

 

町田康の浄土という短編集を何気なく読んでたのですが、その中の短編の一つ「ギャオスの話」を読んでたら、なんだかシン・ゴジラとシンクロしまくっていて、まるでシンゴジラパロディのようでとても面白く読め興奮しました!

 

物語は、JR中央線中野駅北口に面する公園に突如として全長65mの怪獣・ギャオスが登場するところから始まります。

ギャオスの第一発見者、胤 田平夫は、驚きのあまり脱糞します。

 

数時間後、病院に搬送され恢復した胤 田はギャオスの最初の発見者として共同インタビューを受けたが脱糞を恥じて満足に喋ることができなかった。

しかし現場の惨状はそれどころではなかった。胤 田が昏倒した直後、ギャオスもまた脱糞、その糞量は胤 田の比ではなかった。

またギャオスの便臭たるや激烈で通行人は目や頭の痛み、吐き気、目眩ちうった症状に見舞われた。痛みは激烈であった。

よく肉食獣の糞は臭いというがまったくその通りでギャオスの糞が臭いのはギャオスが肉食獣だからであった。

 

そういえば怪獣もので脱糞シーンを今まで見た記憶がないが、彼らも生き物なのだから食べ物を食べたら糞ぐらいするだろう、そういう意味ではリアルな描写といえます。まるでそびえ立つクソだ、っていうのはフルメタルジャケットハートマン軍曹の名セリフですが、比喩でもなんでもなくマジでそびえ立つクソですからこれ。

 

ギャオスの食料は人間です。最初は中野駅周辺で食事をしていたのですが、中野駅周辺から人の気配がなくなると食物を求めギャオスは新宿に移動します。

 

甲州街道は糞によって途絶、建物は軒並み超音波で切断、或いは素手でどつきまわされて倒壊した。 

 

政府とて拱手傍観していたわけではない。

対応はむしろ迅速であった。

内閣総理大臣・錦奔一は第一報を受くるやただちに関係各方面に指示して自衛隊の出動を命じた。 

 

この錦奔一がもうねえ、脳内で大杉漣で再生されるっていうか、この後の奔一の行動は大杉漣がやってると思うととても面白いのですが、あまり引用しすぎるとギャオスの話を読む面白さを削いでしまいますので自分で読んでください。

 

そして総理は自衛隊に銘じて京王プラザホテル前に座り込んだギャオスに35㎜対空連射砲を打ち込むがまるで効かない、怒ったギャオスの超音波攻撃で機甲部隊は壊滅する、というお約束の描写もありますが、この部隊の指揮官・八田八郎もやはりタバ作戦の司令官・ピエール瀧で脳内再生されます。これもまた…w や、いいです。ご自分で買ってお読みください。

 

ちなみに35mm対空砲とはこれであります。

 

87式自走高射機関砲 - Wikipedia


火力足りなくない?タバ作戦では10式戦車が総攻撃をかけました。10式はギャオスの話の当時は存在しないのでせめて74式をださんかい、と思ったのですが、京王プラザホテル前にいるのなら位置的に新宿中央公園から砲撃するしかなく、戦車だと俯角が足りず足元しか撃てないとなると高射砲撃に合理性ある!町田康はミリオタなのかもしれません。

 

ひとしきり暴れたギャオスは西参道口の方へ歩いて行き首都高速4号線を足で滅茶苦茶に蹴り壊して南へ向かった。

関係者は、「このまま真っ直ぐ南下して代々木公園に行ってくんねえかなあ」と思った。

一般の都民はテレビを見ながら、「くんな。こっちにくんな」と思っていた。地方の人は、「おもろ」と思ったり、そうは思わなくてもむやみに興奮して隣の人の肩をばんばん叩いたりしていた。

 

錦奔一もまたテレビ画面にみいっていた。

しかし奔一は一国の指導者である。ただ、くんな、と念じているだけではすまない。

奔一は迷っていた。彼はある決断を迫られていた。実は奔一はアメリカ合衆国大統領オルグ・スターから、「なんやったら僕らの軍隊が出動したってもええよ」と云われていたのである。

奔一は専門家チームからいかな米軍といえどもギャオスを倒すことはできないだろうという報告を受けていた。専門家はどんな強力な軍隊もあのいやらしい超音波によって撃滅されるであろうと云ったのである。 

 

合衆国大統領が登場し決断を迫られるのもシンゴジラですが、専門家チームもまさにシンゴジラ的展開といえます。市川実日子高橋一生たちが真剣にギャオスのそびえ立つクソを分析してるところ想像するとなかなか味わい深いものがあります。 そりゃあね。そびえたつクソという貴重なサンプルあるので採取して分析しますよね。実日子さんが。実日子さんがクソのデータを徹夜で分析してッターン!って。いけるかもしれません。って。言いますよね。想像するとめちゃめちゃ面白くないですか。

 

暴れ放題に暴れたギャオスは夜になると中野駅北口に面した公園に戻って眠った。戻ってくるギャオスを見て中野区の住民は、「マジかよー」と叫んだ。マジであった。

ギャオスは眠る前に脱糞した。

場所は朝と同じく中央線の線路上である。ギャオスはここを糞し箱と定めているらしかった。迷惑この上ない話で周辺住民は頭痛・眩暈・嘔吐感といった症状を訴えた。糞臭は風向きによっては方南通りを越え下北沢あたりまで漂うこともあった。中野の糞が下北沢で臭い。いみじきひがごとである。

 

俺はここでシンゴジラのレーザービームを思い出しましたが、そもそもビームなんて出さなくったって普通に怪獣が生活しているだけで、そびえたつクソの威力で広範囲に被害を及ぼすんです。まるでそびえたつクソのレーザービームだ!!

 

この後もいろいろな登場人物が現れるので、ぜひ皆様におかれましてはシンゴジラキャストの顔を思い浮かべながらギャオスの話を読んで欲しいのですが、この物語のラストもまるでシンゴジラと同じなんです。結局日本の力ではギャオスを倒すことはできず、中野駅前に居座るギャオスとともに共生する道を歩むという…!やべー。この話の初出は2004年1月号の文学界です。や、もちろんね、ギャオスの話自体は過去の怪獣映画のパロディなので似てる話になるのは当然なのかもしれませんが、でもこのラストってある?もちろん俺が不勉強なだけでシンゴジラ以前にもこういうラストの怪獣映画があったのかもしれないけど…いやでもシンゴジラを見た後で10年以上前の小説を読んだ時にシンクロしまくるのはとても面白い読書体験でした。皆も読んでみて!

 

シン・ゴジラ

 

モノマチ9

数年前から蔵前界隈でモノマチという地域イベントが定期的に開催されるようになった。回を重ねるごとに規模が大きくなってるような気がする。今年で9回目である。

 

monomachi.com

 

浅草橋~蔵前界隈はビーズや手芸、皮革関係をはじめ数多くの問屋・モノづくりの中小企業が存在し、またその周囲には多くの職人さんが工房を開いている。といっても小売りの形態で店を構えているところは半分ぐらいなので、あとは近所でも普段何をやっているのか分からない店が多く、そういった接点のない職人さんやモノづくりの企業を含め、街をあげてモノづくりの楽しさを知ってもらいたい…という趣旨でやってるのがモノマチである(俺の理解では)。

 

こういう機会でもないと行けない/見学できない店も多いし、「へー普段こんなことやってるんだあ」という素朴な感動がある。

 

今年は子ども向けのワークショップをやってる佐竹商店街の方に行った。

 

f:id:bad:20170606094755j:plain

 

佐竹商店街の仏具屋でやってたワークショップ。好きなビーズを娘に選んでもらってオリジナルブレスレットをつくる。

 

f:id:bad:20170606094823j:plain

f:id:bad:20170606094945j:plain

 

娘用にと小ぶりにつくった。ぴったり。

 

f:id:bad:20170606100119j:plain

 

ボードゲーム体験もあった。一見関係ないように見えるが、蔵前はバンダイ本社やエポック社本社をはじめおもちゃメーカー・問屋がひしめくおもちゃの街でもある。場所はややずれるが任天堂東京支店も浅草橋にある。

 

f:id:bad:20170606100304j:plain

 

3歳児向けのゲームをいくつかみつくろってもらった。これはスティッキー。ダイスを振り青・赤・黄のうち出た目の棒を1本ずつ抜き取り最後に倒した人が負けの棒倒しゲーム。

 

f:id:bad:20170606100514j:plain

 

対象年齢2歳以上のファッション神経衰弱みたいなゲーム。トップス、ボトムズ、靴、手持ちアイテムの4種カードを引きながら目当てのコーデを完成させる。神経衰弱はすでに持ってるので個人的にはスティッキーが欲しかったが娘がどうしてもこれが欲しいというので買ってしまった。

 

 

こんな感じのイベントやワークショップが御徒町~蔵前~浅草橋のエリアの100箇所以上で行われてるのだった。とてもじゃないけど一日じゃ全部回り切れないが、マップ片手にぶらぶら散歩してるだけで楽しい。第一回から見てるけど、ずいぶん若いお客さんが増えたなあという印象。でも飲食店も出店だしてたりスタンプラリーもやってるので子ども連れでも十分楽しめるし、小さい子どもにこそモノづくりの楽しさを知ってほしいなと思う。お子様連れの方、機会がありましたら是非どうぞ。