東京都台東区浅草橋

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

またぐるなびで記事を書きました。浅草橋で一晩で八軒ハシゴ酒するという内容です。俺の職場は浅草橋にあり、かれこれ10年以上この街で働いてます。今回は勝手知ったる浅草橋で飲み歩き、ということで取材感ゼロの楽しい夜でした。ていうか、この記事で本当に言いたかったことは一軒一杯ルールで飲み歩くと楽しいよ、ということなので別に浅草橋じゃなくてもいいんです。いいんですけど、それはそれとして浅草橋は魅力ある下町の飲み屋街なので興味持った方はぜひお越しください。

 

r.gnavi.co.jp

 

浅草橋もこの10年でずいぶん変わったなと感じます。

 

それは、隣の街・秋葉原がかつての電気街から今はオタク文化の街になったように、この浅草橋も街の意味合いがちょっとずつ変わってきている、ということです。

 

かつての浅草橋は典型的な問屋街でした。まずはなんといっても人形屋。浅草橋東口の江戸通り沿いには人形の久月・吉徳・秀月をはじめたくさんの人形屋・問屋が軒を連ねます。雛人形五月人形を東京で買うとなったらほとんどの方が浅草橋にいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そして服飾関係の問屋。ビーズ問屋や革問屋、また帽子屋も多いです。他にも花火の問屋、日用雑貨の問屋、日本で唯一の食用油専門店なんてのもあります。

 

そういった問屋街としての浅草橋が従前のイメージだと思うのですが、実はここ数年で浅草橋に爆発的に増えてる業種があるのです。なんだと思いますか?

 

ビジネスホテルです。

 

ここ5年くらいで10軒ぐらいの大きなビジネスホテルが建ってます。いまも1軒が建設中です。建物の取り壊しで大きな建物が建つな、と思ったら9割以上の確率でビジネスホテルです。いったいこれはどういうことなのでしょう。

 

考えられるのはなんといっても浅草橋の利便性です。羽田空港と成田空港へは電車で一本。東京駅へは電車で3駅。また観光地へもものすごく近く、秋葉原へは歩いて行ける近さだし、浅草へは電車で2駅です。ビジネスだろうと観光だろうと抜群の立地です。

 

その利便性を考えたら、地価は割安です。東にちょっと歩くと千代田区秋葉原、南の神田川を渡るとすぐに中央区になりますが、千代田区中央区にくらべると台東区の浅草橋の物件は割安です。

 

そこにビジネスホテル業界が目をつけ、競るようにホテルの建設ラッシュになっているのだと思われます。ここ数年で東京出張・旅行で浅草橋に泊まられる方もずいぶん増えたと思います。

 

その割には秋葉原と比して浅草橋が盛り上がってるなとはお世辞にも言えません。

 

ひとつは、問屋街としての浅草橋の相対的な地盤沈下です。

 

まず人形屋。もはや雛人形五月人形が売れる時代ではないのでしょう、例えば吉徳はぬいぐるみやランドセルなどにかなり力を入れてる印象で、他の人形屋も業態変換はさけられません。服飾関係の問屋も中国や東南アジアに年々仕事を奪われジリ貧の様相です。

 

そしてもう一つは、致命的なまでの土日の昼間人口の少なさです。問屋街なので、休日はマジで人がいません。人がいないから、飲食店も営業しない、飲食店がやってないから人が来ない…という悪循環です。この辺も浅草橋の地価の安さに繋がってるのかもしれません。

 

日本に滞在する外国人観光客が年々増え、浅草も秋葉原ももの凄い人出だというのに、浅草橋がいまいち盛り上がりに欠けるのは地元民としてもちょっと寂しいです。私もずいぶん浅草橋生活が長いので、少しでも浅草橋が盛り上がればいいな、と思ってます。

 

ここ数年で飲み屋街としての赤羽がかなり注目されてると思うんですが、どう考えたって清野とおるさんの東京都北区赤羽の影響だと思うんですよ。やっぱり情報発信って大事だな…って思いますね。ですので、俺も微力ながら浅草橋の情報発信に貢献できればな、と考えてます。あの記事が浅草橋に泊まられる方の参考となれば幸いです。

 

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娘が生まれてから飲みに行く機会自体がめっきり無くなってしまいましたが、beviの店長さん、数年ぶりに行っても俺のこと覚えてくれました。別に常連でもなんでもなくたまにいくぐらいの客だったのにね。本当に良い店です。あまりに個人的な体験すぎて記事には書けませんでしたが、感動したのでここに記しておきます。

全盛期のデブは座っただけでソファが折れる

2年ぐらい前の話だろうか。「測るだけダイエット」というのが流行った時に、よし俺もダイエットしよう、と一念発起し、当時80㎏あった体重が半年ぐらいで70㎏を切るぐらいまで減量することに成功した。

 

今にして思えば、この成功体験が良くなかったのだと思う。

 

「俺は本気を出せばいつでも痩せられる…」

 

このような慢心のせいで最近の体重は82㎏になってた。元より増えてる。

 

デブになると日常生活を送るうえでいろいろと弊害がある。ダイエットをする前、会社でしゃがんだときに、ビリビリビリと盛大な音とともにスーツのズボンが全部裂けた、ということであった。当然替えのズボンなど持っていないのでホッチキスで避けた箇所を留めて一日中その格好で仕事をこなした。衣服がなにかの拍子で裂ける、というのはよくある”デブあるある”の一つである。

 

俺はこの手のデブあるあるの修羅場はけっこうくぐっているので、最近は衣服の張り具合で「あ、これは無理をしたら裂けるな」というのがなんとなくわかるようになった。だからデブあるある的な事故と無縁の平穏な生活が続いていたのである。ついこの間までは。

 

事故は唐突におこった。家でソファでくつろごうと腰を掛けた瞬間、ガコーン!というけっこうな音がソファから聞こえた。え?なにいまの??ソファをひっくり返しタッカー留めされた底面の布を剥がしてみると、ソファーの骨組みが真ん中でぽきりと折れていた。えー?こんなことってあるの?たしかに普段よりちょっと勢いつけてソファに腰かけたけども、ソファが折れる、という事象は聞いたことがない。まるで全盛期のイチロー伝説のようではないか。空手家が拳で瓦を割るかのように、全盛期のデブは座っただけでソファが折れる。

 

それはこの家に引っ越してきたときに買った、IKEAの安いソファだった。10年近く使ったと思う。ものは考えようだ。これを機に、ちょっと良いソファを買おうじゃないか。

 

で、蔵前の家具屋NOCE(ノーチェ)に行ったら素敵なソファに出会いいっぺんで気に入ってしまった。それはアームとフレームにオークの天然木を使用した青色のソファだ。座り心地が格段に良い。ソファに張りがあるというか、デブが座っても余裕で跳ね返してくるような弾力がある。佇まいにも高級感がある。これだ。これしかない。

 

しかし注意書きに「搬入の際に、搬入経路の幅が85cm以上必要になりますのでご確認をお願い申し上げます」とある。うちの間口を計ったら80㎝であった。まるでズボンにデブの体が入らないように、うちの家にソファが入らないので悲しくなった。

 

「…このソファ奥行78でしょ?玄関で梱包を解けばギリ搬入できるのでは」

 

まるでデブが掃けないズボンをちょっと腹をひっこめて無理くり履くように、俺もまた狭い我が家にソファを無理くり入れようとしている。往生際の悪さもまたここ数年で培った”デブあるある”の一つなのかもしれない。

 

いや、そんなデブあるあるを言ってる場合じゃない。思えば今年は少し飲み食いが過ぎた。来年こそは節制して70㎏を切るぞ。これは決意であり宣言だ。

サンタさん設定練り込み不足問題について

やっぱり子どもにはサンタさんがいると教えて育てた方がいいのだろうか。

 

俺自身は「サンタさんなどいない、クリスマスは子どもの欲しいものを親が買ってあげる日だ」と親から聞いて育ったものだから、この辺の感覚がよく分からないまま自分自身が親になってしまった。

 

とはいえ俺も一応は一般社会というものを理解はしているつもりなので、ほとんどのご家庭でサンタさんがいる前提でコトを進めている以上、うちの娘だけはサンタさんなどいないなどと言い出すようだと皆さんにご迷惑をおかけしかねないという危惧があるので一応はサンタさんはいる体で娘と接しているのだけど、なんというか、娘に数年がかりの盛大なドッキリを仕掛けているみたいでとても罪悪感があるのである。

 

いや、別にいいのだ。神仏がこの世に存在する、というのと同じレベルでサンタさんが存在する、と言うのであればそれは個々人の信仰の問題であるので他人がとやかくいうことではない。神仏は存在する。その通りだと思う。

 

しかしことサンタさんに至ってはとてもデリケートな問題をはらんでおり、面倒くさいな、と俺が思うのは、ネタバレに対して明らかに過剰な反応、というか非難をこちらが受ける、ということである。神仏について無神論者がいても世間は寛容だが、無サンタ論者が「まだサンタさんなんて信じてんの?」などとうっかり口を滑らそうものならこいつは人間じゃない、ひどすぎる、などと怒涛の激詰めをくらう羽目になる。

 

俺に言わせれば無サンタ論者がこのような過剰な迫害を受けるのはそもそもサンタ信者の論陣が非常に手薄だからに他ならず、吹けば飛ぶようなか細い信仰であるからちょっとでもサンタの存在に疑義を唱える発言をすると過剰防衛に走るのではないだろうか。

 

そう、俺は自称サンタ信者たちの努力不足がとても不満なのだ。サンタが本当に不動の信仰たり得るなら入念な研究やディスカッションを経てすべての疑義を喝破できるぐらい隙のないサンタについての公式設定を定めるべきではないだろうか。

 

例えば、娘に「世界にたくさんの子どもがいるのに、サンタさんプレゼントをどうやって毎年一晩で配っているんだろう?」と聞かれたとする。こういう時、どう答えればいいのか。

 

「サンタさんは神なのであらゆることが可能説」「サンタは複数いる説」「サンタは忙しすぎるので各家庭の親がサンタの指令を受けて代行してる説」パッと思いつくものを列挙したが、どう答えたって俺の説明と娘の友達が親から聞いた説明とは食い違いが生じ、そこから疑念が生じるのである。どちらかが嘘をついていると。

 

こういう事故を回避するためには当然きちんとした公式設定、無サンタ論者が反論の余地などないほどの一部の隙も無いサンタ設定を用意し各家庭で判を押したような回答をすべきではないか。それを、なんですか、現状はサンタの設定について、各家庭の親のアドリブにまかせっぱなしじゃないですか?こんな穴だらけの設定で今日びの子どもたちを騙す…もとい、信じさせることはできるのか、と言いたい。言いたいけど言わない。大人だから(でもブログには書く)。

 

 ちなみにうちの娘のところにはサンタさんは子ども用の鍋セットを持ってきてくれたらしい。

 

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かわいいですね。

 

KIDAMI キッズ用調理器具セット おままごとおもちゃ ステンレス製 13点セット 食器セット 料理人ままごと 料理おもちゃ クッキングセット キッチンセット

3歳8か月

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ふと手に取った椎名誠岳物語を読んでいたら、あれ、こんな話だっけ、なんかとてもすごく沁みるんだけど…となって自分でもびっくりした。自分が中学生だった頃に読んだ時の記憶では岳というやんちゃ少年の話だという受け取り方をしたのだけど、今読むとこれは完全に父親である椎名さんの話であり、父として子とどう接していけばいいのかと悩みながらも手探りでつきあっていく父の物語でもあった。

 

 

岳物語 (集英社文庫)

 

 

 自分が子どもだったら「となりのトトロ」や「よつばと!」のような父に憧れるし、椎名さんも完全にあのタイプだと思っていたけど、ああみえてやっぱり悩みとかあるんだよな、そりゃそうだよな、となった。

 

俺だって娘との付き合い方に悩みはある。目下の悩みはプリキュアだ。

 

半年前から娘はプリキュアにドはまりしている。日曜朝8:30といえばBSプレミアムの「みんなDEどーもくん!」と相場は決まっていたのだけど、今や完全にプリキュア派であり、子どもながらもの凄く真剣にプリキュアを観ているのである。

 

ここで悩みがある。それは、俺もプリキュアを観るべきなのだろうか、ということである。いや、観ようと努力したことはあった。しかしキャラの名前がまず覚えられないし、途中からだとストーリーも分からず世界観もよく分からない、ので内容がスッと頭の中に入ってこないのである。

 

いや、お前に本当に覚える気はあるのか、真剣度が足りんのではないか、という批判はあると思う。しかし悩むのが、本当にそんな努力をしてまで観るべきなのだろうか、ということである。

 

仮に俺が努力をしてプリキュアの物語を解したところで、娘に「そんなうっすい知識で無理に話をあわせてこないで」と思われたら終いではないか。一体俺は父としてどうプリキュアと付き合っていけばいいのか。娘が真剣に好きなものに対し、理解しようと思うべきなのか。それとも娘の聖域に下手に立ち入らない方がいいのか。分からない。椎名さん、俺を導いてくれ…

 

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